思い出して少しは元気になったでしょう。死にそうな人を生きかえらすのに僕も苦労しながら、この手紙を書いているんですよ。ああ、シンドー。

 この手紙はお正月明けに掲載されるんですかね。われわれ老人族はお正月にを食べて死なないようにしましょうね。百歳目前で餅を喉(のど)に引っかけて死んだら、誰も同情などしないで、初笑いされるだけです。お互いに用心しましょうね。僕は今朝、干し柿の種が口の中で上手により分けられないでモタモタしている内に種を飲み込んでしまいました。誤嚥(ごえん)になって気管から肺に種が行くと一巻の終わりなので、大あわてしました。病院の先生に電話で問い合わせしたところ、種はまあ何とか大丈夫ですが、おかしなことをしないよう気をつけて下さいよ、と言われました。医者のおかしいということは、僕が真面目にやったことの結果が大半なんですよね。今日はこの辺で。

■瀬戸内寂聴「バイクにも…したいことすべてしてきた人生」

 ヨコオさんは、ほんとにやさしいねえ!

 私が死にたいなど、モオロクした言葉を吐くと、あわてて、落ちこんだ私の気分をひき立ててやろうと、気をつかって下さって、あれこれ、愉(たの)しい昔話など想(おも)い出させて下さいます。

 今時、こんなやさしい心づかいをしてくれる人なんて、いませんよ! 自分では気がつかなかったけれど、目下の私は、九十七のバアさんもいいところで、きっと、むさ苦しいどころか、アタマの中がボケてしまって、くどくど同じことを喋(しゃべ)ったり、前後の見境も忘れてしまって、シリメツレツ(こんな字もすぐでてこなくなってしまった)なことを喋っているのでしょうね。それをずっと我慢して、昔と同じにつきあってくれるヨコオさんのやさしさに、もっともっと感謝しなければ、罰が当(あた)りますね。

 年寄というものは、妙に執念深くて、自分の心が傷つけられたりすると、決して忘れず、受けた屈辱を心の中でねちねちこねまわし、屈辱を与えた相手を、死ぬまで恨みつづけるものです。そんな老人をまわりに一杯見てきたので、そうはなるまいと心しているものの、どうやらわかりません。

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