「あなたが堀文子さんと、東京の私の事務所へ来た時、あなたはまだ長い髪を頭のてっぺんにまるめて、派手な長い袖の着物を着ていました。それなのに私はあなたが頭を剃った今のあなたの姿に見えたのです。それで、ああ、この人は出家するつもりだな、建てるのはお寺だなと決めてしまったのです」

 といいます。今更、建て直すと、またお金が要るので、私は泣く泣くその大きな建物を受けいれました。堀さんも私と一緒に泣いてくれました。木も草も一本もないので、余計建物が大きく見えます。廊下も広くて長く、部屋はすべて大きくて、小さな尼さんが一人棲(す)むには何もかも大きすぎます。せめて庵の名前だけでも寂庵として、小さく見せようとしました。広い建物が建っても、五百坪の土地は一本の木も草もないので、ドッグレースが出来そうです。

 それから四十五年も経ちました。有名な庭師は高いので、その弟子の学生たちを庭師に頼み、安い雑木ばかり植えました。いつの間にかその庭師の卵たちが立派な庭師になって、奈良や京都の尼寺で引っ張りだこになっています。

 歳月とは不思議なものですね。畠ばかりだった庵のまわりにもびっしり家が建ち、すっかり風情が変りましたよ。でも、遊びに来て下さい。

 奥嵯峨はまだ風情があります。

週刊朝日  2020年1月3‐10日合併号