大竹:そのころの日本の楽曲ってきれいなものがたくさんありますよねー。

五木:原稿を書いていると年を取る感じがするけど(笑)、音楽をやるとリフレッシュする。音楽とかかわりあってきたからこそ、ここまで続けてこられたというのはありますね。先日、「歌いながら歩いてきた」というミュージックBOXを作ったんです。作詞生活60年ということで。「織江の唄」も二つはいってる。大竹さんにとっての歌は、どんな存在だろう?

大竹:楽しいから歌うものだし、悲しいから歌う、叫びたいから、祈りたいから歌う。そんな人の原点のような気がしています。ここから進化して芝居になったのだと思うこともありますね。お客さんに伝わるのはストレートで、歌うほうとしてはこんな幸せなことはないと感じることも多い。人がその瞬間だけでも幸せになってくれたり、楽しいと思ってくれたら、自分のいる意味も見つけられるし。

五木:よく初めに言葉ありきと言われるけれど、初めにあったのは歌だと思うことがある。最近、万葉学者の中西進さんとも対談させて頂いたんだけど、万葉集も、もともとは歌なんですよね。みんながメロディーをつけて歌っていたから後世に残った。この国は、歌の国でもあるんです。

大竹:「うた」の語源が、思いを「訴える」から来ているという説も聞いたことがあります。これもわかるような気がして、よく思い出します。

五木:歌と言えば、敗戦後、外地で難民キャンプみたいなところにいたときも、とにかく朝から晩までみんなが歌を歌っていたのを覚えています。それも、マイナー調のセンチメンタルな歌ばかり。でもその歌にはげまされて、がんばりぬいて帰ってこられた。引き揚げ船の中で日本の船員さんたちがいま内地で大ヒットしてる曲だといって「リンゴの唄」というのを聞かせてくれたんです。でも、みんなキョトンとしていた。なんだか、しらけた感じで盛り上がらなかった記憶がある。

大竹:♪赤いリンゴに、ですよね。

次のページ