岸田氏は広島県出身の政治家として、世界の非核化、核軍縮に取り組んできた。外相だった16年5月、当時の米国大統領だったオバマ氏の広島訪問の立役者ともなった。その時の思いについて、16年6月の『週刊朝日』のインタビューでこう答えている。

「米国の大統領に広島へ来てもらいたかった。被爆地を知ってもらいたいとずっと思い続けてきました」

 今、世界の非核化についてどう見ているか。

「かつては、世界に7万発以上あった核兵器は、現在1万数千発にまで減りましたが、それでも膨大な数の核兵器が存在しているということです。にもかかわらず、核兵器保有国と非保有国の対立のもとに、核兵器のない世界へ向けての歩みが滞ってしまっています」

 核兵器の数は減っている。だが、威力は増している。世界の非核化へ向けて、日本の果たすべき役割とは。

「日本は双方の橋渡し役として努めていかなければいけない。核兵器の実態を透明化するのが信頼への第一歩だと思います。お互いの信頼関係を醸成し、核兵器のない世界に向かって努力を続けることが大事だと思います」

 5年に1回、「核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議」が開かれており、20年はニューヨークでの予定だ。

「5年前の会議では核兵器保有国と非保有国が対立し、文書もまとまらずに終わった。その苦い経験を踏まえ、ぜひ次は両者がしっかり話し合って協力し、成果を出せる会議にしたい。日本はそのために汗をかくことが大事なのではないかと思います」

 20年の豊富は?

「政治家として政策を磨き、力を蓄えること。特に経済の成長戦略を自分なりに磨き上げたい。将来、総裁選の出馬を考えるというのならなおさらのことです」

(本誌・上田耕司)

週刊朝日  2020年1月3‐10日新春合併号に加筆

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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