荒磯寛さん(元稀勢の里寛・右)と林真理子さん (撮影/写真部・小山幸佑)
荒磯寛さん(元稀勢の里寛・右)と林真理子さん (撮影/写真部・小山幸佑)
荒磯寛(元稀勢の里寛)/あらいそ・ゆたか 1986年、茨城県生まれ。本名・萩原寛。元横綱隆の里の鳴戸部屋(現田子ノ浦部屋)に入門し、15歳で初土俵。新十両と新入幕をいずれも史上2位の若さで果たし、稀勢の里と改名する。2017年1月場所で念願の初優勝を果たし、場所後に横綱昇進。新横綱の同年3月場所は、左上腕部に大ケガを負いながら奇跡の大逆転優勝を成し遂げた。そのときのケガがもとで、19年1月場所中に32歳で引退、年寄荒磯を襲名。優勝2回。殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞1回。著書に『我が相撲道に一片の悔いなし 稀勢の里自伝』(ベースボール・マガジン社) (撮影/写真部・小山幸佑)
荒磯寛(元稀勢の里寛)/あらいそ・ゆたか 1986年、茨城県生まれ。本名・萩原寛。元横綱隆の里の鳴戸部屋(現田子ノ浦部屋)に入門し、15歳で初土俵。新十両と新入幕をいずれも史上2位の若さで果たし、稀勢の里と改名する。2017年1月場所で念願の初優勝を果たし、場所後に横綱昇進。新横綱の同年3月場所は、左上腕部に大ケガを負いながら奇跡の大逆転優勝を成し遂げた。そのときのケガがもとで、19年1月場所中に32歳で引退、年寄荒磯を襲名。優勝2回。殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞1回。著書に『我が相撲道に一片の悔いなし 稀勢の里自伝』(ベースボール・マガジン社) (撮影/写真部・小山幸佑)

 稀勢の里として活躍した17年間の力士生活に終止符を打ち、荒磯親方を襲名した荒磯寛さん。作家の林真理子さんが現役引退後の生活を聞きました。

【荒磯寛さんの写真の続きはこちら】

【前編/「白鵬、頑張れよ」元横綱・稀勢の里が初優勝時に応援したワケ】より続く

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林:引退すると、最初はもぎりから始めるんですか。

荒磯:最初は警備から始まるんです。

林:人が群がっちゃって大変なんじゃないですか。

荒磯:引退して初めて警備をしたのが3月の大阪場所で、地方場所って花道をお客さんが通ったりするので、最初はすごかったですね。

林:テレビの相撲解説もなさって、とても好評だったんですよね。

荒磯:3月から解説のほうもやらせていただいて、しゃべることが現役中はなかったので、これも勉強ですね。今いろいろ勉強しているという感じです。これも引退してからわかったことですが、17年間現役のときって、裏方さんの仕事とか、国技館の中のつくりとかもわからなかったんです。1月に引退してから、「こんなところもあるのか」「こういう仕事もあるのか」と毎日いろいろ発見できて新鮮でしたね。現役のときはこの人たちに守られてやってきたんだなということがわかりました。

林:引退なさって、どうですか今の生活。気楽になって楽しいですか。

荒磯:気楽です。楽しいですねえ(笑)。現役中は夜よく眠れないことがたくさんあったり、食事の味がしなかったりして、それがあたりまえのようになっていたんですけど、今は同じものを食べても「おいしいな」と思うし、精神的にちょっと落ち着いてきたなという感じですね。

林:断髪式もやられて、今はご自分の部屋の準備もなさってるんですか。

荒磯:部屋をつくる準備はまだ始まってないです。今は部屋(田子ノ浦部屋)の若手に稽古指導というか。高安がいるので。

林:ご自分の部屋をつくったら、いいお弟子さんが集まるといいですね。

荒磯:一つのことを一生懸命できるような弟子が来るといいですね。必ずお客さんが見てますし、本職の人も見てますから、一生懸命相撲をとるという弟子を育てていきたいなと思いますね。

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