尾上:「失敗したくない恐怖症」なんですよ。自分の中で歯止めをかけて、突破できない枷(かせ)みたいなものがある気がしていたんです。初日の前日にセリフがわからなくなる夢を見ると、ぱんと目が覚めてビデオを見返したり、結局夜寝られずに初日を迎えたり。

 父や先人たちに比べて自分が劣っていると思っていて、先人たちに顔向けできない、失敗してはいけないというプレッシャーみたいなものがありました。

 息子が生まれ、自分が親の立場に立った時に、父親がこういう気持ちをしてきたということに気付いて、芸だけでなくて人間として成長していかないとと思えるようになりました。尾上菊五郎劇団みんなで芝居をし、劇場を満席にし続けたいというのが私の夢なんです。

吉田:尾上菊五郎劇団が主語になるんですものね。ご自分のご本名のっていうのはほぼほぼないですね。そこが凄みであり面白さなんだろうし、だからこそ歌舞伎役者なんでしょう。

 この『国宝』で賞(芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞)をいただいたんですよ。その瞬間にまた失敗できるなと思いました。ご褒美をいただくと、芥川賞の時もそうなんですけど、これで2、3年失敗したもの書いてもまだ生き残っていけるだろうっていう気に、割となるほうなんです。それで自分では目が向かなかったほうに向くっていうことを20年ぐらいやってきた。でもぼくは一人の仕事です。菊之助さんの場合は、そんな簡単に、じゃあ失敗しようか、なんてことはできないですよね。

尾上:いやいや、何もないところから人間ドラマを生み出していく、というお仕事はとてつもないことだと思います。女形を演じる役者として『国宝』で喜久雄の師匠白虎の、すごく心に刺さった言葉があるんです。

<女形というのは男が女を真似るのではなく、男がいったん女に化けて、その女をも脱ぎ去ったあとに残る形である>。あのくだりはどこから?

吉田:昭和の名女優がそういうことを仰っていたんです。女を演じてもだめだ、女の形っていうのがあって、それを演じるから伝わるんだ、と。

尾上:男がどうしたら女に見えるかという先人たちが築き上げた工夫を継承している身として、それを脱ぎ去ったあとに残るものとはなんなんだろうかと考えてしまいました。

吉田:仰っていた、40代になって内側から出てくるものが、「脱ぎ去ったあとに残る形」と重なるんだろうなとぼくは思います。

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