バドミントンもせず、1カ月間、家に引きこもる生活。周りの目が気になり、外には出られなかった。それでも、家族は普段通りに接してくれた。出勤停止処分が解け、東京に戻る日、父の信弘さんに言われた。

「もうやってしまったことだし、しっかりと反省して、ちゃんと恩返ししてくれ」

 支えてくれた家族の温かい言葉が、次への一歩の原動力になった。

「自分は応援してくれた人の信用を一回失ってしまった。だから、結果で返さないといけないと思いました」

 それから正式に競技復帰するまで約1年間。大会に出られるかもわからないまま、練習を続けた。NTT東日本の須賀隆弘監督は、「目標もないのに、よくここまでやるな、と思った」と振り返る。

 午前中は総務人事部の社員として、資料作りやコピー取りなどの裏方の仕事を経験した。午後の練習が終わると、毎日、ランニングマシンに乗り、ほかの部員が休憩している間も走り込んだ。NTT東日本が開催する地域のバドミントン教室では、得点板係や球拾いを買って出た。「頑張ってください」と応援されることが、心に染みた。

 処分が解除されたのは、17年5月。最高で2位だった世界ランキングは282位にまで落ちた。

 そこからの取り組みが、今の桃田の強さの基盤となる。指導にあたる佐藤翔治コーチは言う。

「プレッシャーもかかるなかで、どうやって、勝っていくかということをまず、第一に考えた」

 復帰直後、特に国内の試合で桃田の動きは硬かった。プレーするコートには報道陣が集まり、顔がこわばる。

「シャトルの置き方とか、そういうことまで見られているなと思った」

 気持ちを前面に出したプレーや派手なガッツポーズはなりをひそめ、気合を入れるために声を出すこともためらった。

 そんな桃田を見て、佐藤コーチが取り組んだのが、ディフェンス面の改善。主にレシーブの技術だった。

「最低限、レシーブができればスコンと負けることはないだろうと。しっかり守れる自信みたいなものがあればと思った」

 と佐藤コーチは話す。

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