オフィスでミレニアム・ファルコンの画像をチェックする成田さん(ディズニー提供)
オフィスでミレニアム・ファルコンの画像をチェックする成田さん(ディズニー提供)
「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」(c)2019 and TM Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.12月20日公開
「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」(c)2019 and TM Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.12月20日公開

「スター・ウォーズ」最後の3部作では、2次元のデザインをコンピューターを駆使して3次元に立体化する「モデラー」という仕事で、日本人が大活躍した。ミレニアム・ファルコンなどを担当した成田昌隆さんは、異色の経歴を持つ56歳だ。

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 高校1年生のときに、名古屋駅前の映画館で見たんです。スター・デストロイヤーが重低音を響かせてきたときは「なんだ、こりゃ!?」って感じました。空中戦のシーンでは、コックピットに座って、あたかも自分自身が戦っているような感覚になりました。

――1978年に日本公開された最初の「スター・ウォーズ」。成田昌隆さんは大きな衝撃を受けた。

 僕の子どもの頃の遊びといえば、プラモデル作り。造形的に美しいドイツの戦車が好きでした。

 10歳で「シャレード」を見て以来、洋画が好きになりました。当時は毎日のようにテレビで洋画をやっていて、よく見ました。週の終わりに日曜洋画劇場の淀川(長治)さんの「サヨナラ」を聞くと、なんだか寂しい気持ちになりましたね。

 ハリウッド映画のエンドクレジットに名前を載せたい。それが夢でしたが、どうやってその世界に入ればいいのかわからない。遠い世界でした。

――名古屋大学工学部を卒業し、NECに入社。その後、日興證券に転職し、システム部門に配属された。転機となったのは米シリコンバレーへの赴任、そして一本の映画との出会いだった。

「トイ・ストーリー」を見て涙を流すほど感動しました。エンドクレジットを見ていたら、Konishi(小西園子さん)という名前があったんです。日本人もかかわっているじゃないか、自分は何をしてたんだと、すごく悔しくって。

 その後、シリコンバレーでのコンピューターの展示会で、たまたまCGのソフトウェアを見かけたんです。これを使えば自分でも作れると思い、その場でソフトを買いました。97年のことです。

 平日は仕事から帰った6時くらいから夜中の1時くらいまで、土日はフルで勉強を続けました。年に1本のペースでアニメーションを作り、プロダクションに送ったんです。

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