河合雪之丞さんと林真理子さん (撮影/門間新弥)
河合雪之丞さんと林真理子さん (撮影/門間新弥)
河合雪之丞(かわい・ゆきのじょう)/1970年、東京都生まれ。88年、国立劇場第9期歌舞伎俳優研修を修了。同年、三代目市川猿之助(現・猿翁)に入門し、二代目市川春猿を名乗る。94年に三代目猿之助の部屋子となり、女方として活躍。2017年劇団新派に移籍し、河合雪之丞と改名。松尾芸能賞新人賞、国立劇場優秀賞受賞。著書に『女づくり』。来年1月、初春新派公演「神田祭」(三越劇場、2~20日)に出演予定。その後、新派特別公演「八つ墓村」出演が控える。 (撮影/門間新弥)
河合雪之丞(かわい・ゆきのじょう)/1970年、東京都生まれ。88年、国立劇場第9期歌舞伎俳優研修を修了。同年、三代目市川猿之助(現・猿翁)に入門し、二代目市川春猿を名乗る。94年に三代目猿之助の部屋子となり、女方として活躍。2017年劇団新派に移籍し、河合雪之丞と改名。松尾芸能賞新人賞、国立劇場優秀賞受賞。著書に『女づくり』。来年1月、初春新派公演「神田祭」(三越劇場、2~20日)に出演予定。その後、新派特別公演「八つ墓村」出演が控える。 (撮影/門間新弥)

 2年前に、29年間身を置いた歌舞伎界を離れ、名前も新たに新派に移籍した河合雪之丞さん。美しくたおやかな佇まいの女方として、人々を魅了し続けています。新派移籍の理由から、芝居に向き合う姿勢、女方の究め方まで、新派好きの作家・林真理子さんが迫ります。

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【前編/「着物は“女らしさ養成ギプス”」女形・河合雪之丞に学ぶ所作】より続く

*  *  *

林:雪之丞さんは、子どものころ歌舞伎を見て歌舞伎役者に憧れたんですか。

河合:そうなんです。当時、毎週日曜日のお昼間に、劇場中継とか歌舞伎の中継番組があって、私は三つぐらいのときからそれらの番組が始まると、テレビにかじりついて動かない子だったんだそうです。記憶にあるのは、5歳のときに祖母に頼んで歌舞伎座に連れてってもらって、祖母の膝の上で見ました。

林:そのとき見たお芝居、何だったか覚えてます?

河合:昭和50年10月の「新書太閤記」という芸術祭参加作品で……。

林:えっ、そんなことまで覚えてらっしゃるんですか。

河合:覚えてます、覚えてます。昼が「新書太閤記」、夜が「春日局」という2作で、私は「新書太閤記」を見たんですけど、十七代目の中村勘三郎さんの秀吉だったんです。

林:亡くなった勘三郎さんのお父さまですね。

河合:そうです。久里子さんのお父さんですね。亡くなった中村芝翫さん、そして坂東玉三郎さんが出てらして、信長役で萬屋錦之介さんも出てらしたんです。

林:そのころ萬屋錦之介さん、歌舞伎に出てらしたんですか。

河合:特別出演みたいな形でした。弟の中村賀津雄(現・嘉葎雄)さんも出てました。

林:日舞は習ったんですか。

河合:踊りは小学校に入って2、3年生ぐらいからやってました。親戚に踊りをやってる人がいて、そこに行ってました。たしか若柳流だったかな。

林:女方を目指す歌舞伎の方は、坂東玉三郎さんを見て憧れたという人が多いですけど。

河合 私も憧れました。平成18年に歌舞伎座で玉三郎さん監修で「夜叉ケ池」をやらせていただいたときに、ほんとにこまかくご指導をいただいたんですけど、今思えば玉三郎さんがおっしゃる言葉がよく理解できてなかったんです。そのあと新派に移って、自分でいろんなことを考えながら芝居をやらせてもらっているうちに、その当時玉三郎さんがおっしゃってた言葉の意味が、やっとわかるようになったんです。

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