Q5.特高から逃れて隠れた宿の風呂で小林多喜二が口ずさんだ歌とは?

 小説『蟹工船』でプロレタリア文学の旗手となった小林多喜二は昭和5年、治安維持法違反で収監され、翌年1月保釈された。3月には借金までして身請けした恋人に結婚を申し込んだが、断られる。親兄弟の生活を支えるからと故郷・小樽に帰ったのだ。

 多喜二が七沢温泉「福元館」に逗留したのはこの年の3月。特高の監視から逃れるための隠遁生活だった。福元館の離れに身を隠し、拷問で傷ついた体を休めながら長編小説『オルグ』を執筆するためだ。多喜二は原稿執筆中も、官憲の靴音を聞くたびに書きかけの原稿用紙をトイレに捨て、深夜まで裏山に身を隠した。

 そんな多喜二を匿えば、宿も罪に問われかねない。だが、それを承知で匿ったばかりか、リクエストがあれば好物の“ぼた”を食べさせ、傷だらけになった多喜二の背中に手作りの湿布薬を塗ってやったという。多喜二はリラックスすると、鈑桁に丹前姿で母屋の温泉に向かい、歌を歌いながら湯を楽しんだ。多喜二がいつも歌った歌を、女将は覚えていた。

♪折らずにおいてきた山蔭の早百合
人が見つけたら手を出すだろう
風がなったなら露をこぼそものを
折ればよかった遠慮がすぎた

 この曲は、ブラームスの作品47の3「日曜日」で、訳詞は高野辰之。多喜二は約1カ月、福元館に逗留し、『オルグ』を書き上げた。逮捕され拷問死するのはその2年後の2月のことである。

【正解】ブラームスの「日曜日」(邦題「折ればよかった」)

Q6 室生犀星と萩原朔太郎が温泉宿でケンカした理由は?

 北原白秋が主宰する雑誌「朱欒(ざんぼあ)」を通じて文通を続けていた室生犀星と萩原朔太郎は大正3年2月、前橋駅で初めて顔を合わせた。互いに相手の作品に敬意を持っていたが、第一印象は最悪だった。犀星は朔太郎を「なんて気障な男だ」と感じ、朔太郎は犀星を「貧乏臭い痩せ犬」と感じたという。

 ところが、しばらくともに過ごすと、一気に友情が花開き、ともに旅をする無二の親友になった。大正9年以降、夏には軽井沢で過ごすことが増えた犀星は、軽井沢を起点に各地を旅する日々を送っていた。大正10年の夏には、電報で朔太郎を軽井沢に呼び寄せ、ともに赤倉温泉を旅した。宿泊したのは「香嶽楼」。明治32年に尾崎紅葉が訪れ、「煙霞療養」を著した宿だ。2人は信越本線田口駅から車に乗り、上機嫌で宿に着く。

<香嶽楼の入り口には、うすべにの葵が咲き、自動車を下り立つ私たちの目を一番さきに刺戟した。座敷は十二畳の、高原一帯を見晴らせるところで、紅葉山人の「煙霞療養」にでてくる土地である。煙霞療養といふ題はなかなか新らしい。今だってちよいと使へる。さういふ話をしてから一浴した>(「赤倉温泉」=「改造」大正10年9月)

 この後、茶を飲むために仲居を呼ぶベルをどちらが押すかで小競り合いになったとも書かれているが、気の置けない友人同士ゆえのことだったのだろう。

【正解】仲居を呼ぶベルをどちらが押すか

(本誌・鈴木裕也)

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