Q3.執筆をするときの太宰治の「正装」とは?

 太宰治は昭和14年に井伏鱒二の媒酌で結婚し、新居として甲府に家賃6円50銭の小さな家を借りた。暑い甲府の夏、汗疹に悩んだ妻が治療に通ったのが近所の湯村温泉だった。太宰も夫人とともに「旅館明治」を数回訪れ、混浴の共同浴場で見かけた美少女を題材に短編「美少女」を書いた。

 同年、太宰一家は東京・三鷹に引っ越したが、太宰は昭和17年と18年、執筆のために旅館明治を訪れた。「走れメロス」「女生徒」などを書き、原稿の依頼が急増したのもこのころだ。太宰は約1カ月ほど滞在し、『正義と微笑』『右大臣実朝』を執筆した。

 宿泊したのは2階の客室2部屋。1部屋を執筆室、もう1部屋を寝室として使用した。現在の「双葉」の間にあたる。遅くまで執筆し、朝は寝坊したというが、朝起きると必ず袴を身に着け執筆した。時折散歩に出るだけで、ほとんど部屋に籠っていたという。

 太宰は戦争中、夫人の実家がある甲府に戻り疎開暮らしをしたが、当時の旅館明治は疎開児童と軍人で宿は満員だったため、宿泊はできなかった。終戦間近には甲府の実家も空襲で全焼し、太宰一家は青森に移った。以後は、死ぬまで甲府を訪れることはなかったという。

【正解】はかま姿

 Q4.宿の自慢料理を食べ飽きた坂口安吾が買って食べた“おかず”は?

 安吾が29歳の時、親友の翻訳家・若園清太郎が肋膜炎にかかる。その前年、友人2人を相次いで亡くし、恋にも破れていた安吾は、親友を療養させるために信州の山奥の奈良原温泉「あさま苑」を探し出し、値切りに値切って1泊3食(毎食卵1個付)で1円20銭という破格の宿泊料で若園と2カ月近く生活を共にした。

 安吾の持ち物は、万年筆とノート1冊、原稿用紙を入れた風呂敷包みだけ。万年筆のインクがなくなると、峠をいくつも歩いて超えて買いに行く、そんな生活だった。宿の名物料理は鯉料理とキノコ。若い2人は毎日続く同じ献立に飽きてしまった。外食をするにも若園は病身、山を下ったはるか先まで出かけるのは大変だ。

 安吾と若園は宿の売店で鯨肉の缶詰を買い「栄養補給」といって、これを“おかず”にした。また、若園が東京から持参した「是はうまい」というフリカケも重宝したという。

 若園が8月下旬に帰京した後も安吾は宿に残り、『狼園』を書き上げた。

【正解】鯨肉の缶詰

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