ファラオが崇め、いつも愛でていたが死んだ時、彩色された棺に入れられたのは、布で巻いた猫であった。殉死というケースもあったかもしれない。

 不思議なことに耳だけが生きていた。薄い二つの耳は生のまま、昔の大きさのままで固まっていた。

 棒状の茶色い猫のミイラに耳だけが突き出た様子は異様であった。

 私はすっかりその耳に魅了されて来る日も来る日も博物館に通った。そこで沢山の猫のミイラに出会ったが、どれもこれも耳だけが突き出ていた。

 耳は最後まで生きているとは臨死体験のある何人かから聞いた話である。

 猫の耳は何を聞いているのか。

 砂漠には風が棲んでいる。はるか彼方から、砂を巻き上げながら、いつも“さわさわ”と優しい風が吹いてくる。“サワサワ”とは一緒にという意味のアラビア語である。

 エジプトの猫は死んでミイラになっても、耳だけは生きて今も砂漠の風を聴いているのだ。

週刊朝日  2019年12月13日号

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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