銃撃された中村哲医師 が生前、本誌に語っていた夢「現地では優しくしてもらっている」 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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銃撃された中村哲医師 が生前、本誌に語っていた夢「現地では優しくしてもらっている」

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池田正史、多田敏男週刊朝日
アフガニスタンの干ばつ被害について説明する中村哲さん=2018年 (c)朝日新聞社

アフガニスタンの干ばつ被害について説明する中村哲さん=2018年 (c)朝日新聞社

アフガニスタンで活動する中村哲さん=2012年 (c)朝日新聞社

アフガニスタンで活動する中村哲さん=2012年 (c)朝日新聞社

中村哲さんらが乗っていたとみられる車 (c)朝日新聞社

中村哲さんらが乗っていたとみられる車 (c)朝日新聞社


 2008年には「ペシャワール会」の男性が武装グループに殺害される事件も起きた。中村さんは警備員をつけるなど安全確保に注意しつつ、現地の人たちと直接ふれ合うことを続けてきた。

「診療するうちに、待合室で亡くなる貧しい子どもの姿を何人も見てきました。大干ばつに襲われ栄養状態が悪い子どもたちを救うには、医療だけでは足りません。用水路をつくって農業を支援する必要があったのです」

 アフガニスタン東部で「マルワリード用水路」の建設に03年に着手。建設資材の不足などに悩まされながらも、全長25キロ超の用水路を10年に完成させた。「緑の大地計画」としてさらに農地を復活させるべく、活動を続けていたところだった。

 70歳を超え体調も万全ではなかったが、最後まで自ら現地で動くことにこだわった。

「私は日本では邪険にされることもありますが、現地の人たちはとても優しくしてくれます。日本よりもお年寄りを大事にしているからです。あと20年は活動を続けていきたいですね」

 取材では、心配をかけてきた妻や子どもら家族に感謝する言葉もあった。

「帰国した時にお茶漬けを食べたり、風呂に入ったりすると安心します。日本に残して苦労をさせてきた家族に、罪滅ぼしをしたいと思うこともあります」

 妻の尚子さんは4日報道陣に、「今日みたいな日が来ないことだけを祈っていました」と答えたという。

 ペシャワール会は、「事業を継続するのが中村さんの意志でもある」として、人道支援活動を続けていく方針だ。
(本誌・池田正史、多田敏男)
※週刊朝日オンライン限定記事


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