ただ、韓日は争いばかりしていたわけではないと、鄭教授は話す。

「両国が協力して交流し、日韓は自由民主主義教育、自由市場経済で発展してきた。そのことについての記述は韓国の教科書にも日本の教科書にもありません。こういうものが互いの歴史認識へ大きく影響を及ぼしているのではないでしょうか」

 2002年から10年にかけて2期にわたり、日韓では「日韓歴史共同研究」が行われた。01年5月、検定を通過した「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書に韓国側が修正を求めたことから、小泉純一郎元首相が「歴史教科書問題について両国の学者が共同研究を行う」ことを提案。韓国も合意して始まった。両国の専門家が、古代史、中近世史、近・現代史、教科書などの各分科会に分かれ、共同研究を行った。鄭教授は教科書グループで研究、論文を執筆している。

「『韓日歴史共同研究』では、膨大な研究成果も報告して、本も10冊あまり出しています。歴史研究そのものでは成果を出したと思いますが、その結果が一般国民に広く知られることはなかった。共同で研究することは確かに容易なことではありません。初めは研究者どうしの意見の衝突も多かった。しかし、この歴史問題というのは簡単に解決されるものではありません。あのような共同研究を土台にして『歴史の対話』を続けていけば、初めは衝突していても、衝突しながらも互いに理解して、争いながら共に繁栄する、そんな諺(ことわざ)が韓国にはあります。日韓で歴史認識の相違は狭められないとは考えていません。1970年代から90年代にかけては『歴史の対話』を民間レベルでも行っていましたよ。いつの時代も歴史において争っているばかりではないのです」

 鄭教授が以前、勤めていたソウル市立大学と日本の東京学芸大学は97年から10年間、共同研究を行って、2007年には『韓日交流の歴史』(日本では『日韓交流の歴史』)を出版したという。日韓歴史共同研究が終了した翌年の11年8月、韓国の憲法裁判所は、韓国政府を相手にした元慰安婦らの訴訟に対し、「1965年の韓日請求権協定に関連した紛争を解決する努力を韓国政府が行わなかったことは憲法違反」とする判決を出した。同年12月には、元慰安婦や支援団体が毎水曜日に行っていた集会が千回となったことを記念して少女像が建てられた。そして、翌12年5月には、徴用工を巡る裁判で大法院が原告側の敗訴を取り消し、高裁に差し戻された裁判では13年7月、原告が一部勝訴。被告となっていた日本製鉄(当時、新日鉄住金)は判決を不服として大法院に再上告していた。

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