11月の全日本選手権に出場した見延和靖 (c)朝日新聞社
11月の全日本選手権に出場した見延和靖 (c)朝日新聞社
インタビューで笑顔を見せる見延和靖 (撮影/写真部・小黒冴夏)
インタビューで笑顔を見せる見延和靖 (撮影/写真部・小黒冴夏)

 2020年東京五輪で活躍が期待される選手を紹介する連載「2020の肖像」。第9回は、日本選手として初めて年間の世界ランキング1位を記録したフェンシング男子エペの見延和靖(32)。日本の第一人者だった、2008年北京五輪男子フルーレ銀メダリストの太田雄貴すら成し遂げられなかった偉業だ。日本の新エースは、20年東京五輪の金メダルへと突き進んでいる。朝日新聞社スポーツ部・河野正樹氏が、世界ランキング1位までの道のりを聞いた。

【写真】インタビューで笑顔を見せる見延和靖選手

*  *  *

 前年の世界ランキング1位の選手が五輪で金メダルを取る可能性はどれくらいか。そう聞くと、見延は悩みながら答えた。

「高くはない。50%もない。20~30%ぐらいでしょうか」

 フェンシングは、番狂わせの多い競技と言われる。個人戦は15点先取で決まる短期決戦だ。五輪でも、世界ランキング1位の選手が負けることは決して珍しくない。過去には100位台の選手が金メダルを取ったことがある。

 今年7月にハンガリーであった世界選手権男子サーブルで、世界ランキング41位(11月14日現在)の吉田健人(警視庁)が五輪2連覇中の地元の英雄アロン・シラギを破ったのがいい例だ。ましてエペはフェンシングの中で最も人気があり、競技人口が多く、層も厚い。見延といえども、うかうかしていられない。

「40歳までフェンシングを続ける。まだまだ成長できる」

 と見延は言う。多くの五輪選手が幼少期からその競技にいそしむ中、見延がフェンシングを始めたのは高校に入ってからだ。

 福井県出身で、小学校では空手、中学校はバレーボールとどれも抜群の運動神経で上手にこなしていた。なのに、なぜフェンシングだったのか。

 きっかけは父の勧めだった。勉強が決して得意ではなかった見延に、

「フェンシングで全国高校総体で上位に行けば、東京の大学の推薦がもらえる」

 と教えてくれたからだ。全国でもフェンシングの強豪と言われる福井県立武生(たけふ)商高に進学した。

次のページ