夜更け、みんな帰るのが億劫(おっくう)になった。そこには、酌婦ごとをしてくれる20歳くらいのご婦人2人もいた。そのご婦人らがここで休んでいくという。

 宴テーブルを片づけ、大きな和室に座布団を枕にして、みんなで雑魚寝することになった。互いがすでに朦朦(もうろう)の風で思いのまま横臥(おうが)した。

 隣に薄手の着衣のご婦人が寝た。挟むようにして向こう側で君がすでに寝息をたてていた。ややあって、隣のご婦人が体の向きを変えるのが薄明かりの中で浮かんだ。気がかりだが、僕は息をのんで静寂を作った。

 その直後、なんと、ご婦人が僕の体に触れてきたのだ。大胆なのである……。

 婚約者の君が寝つきの早いのは知っていた。寝返りを打てば触れそうなほどの間合いである。世間からどんなに模範生と言われようが、この色恋の修羅場はたまらない。

 でも、いたすわけにはいくまい。必死のもがきである。僕はもろ手を伸ばし、ご婦人に接吻(せっぷん)した……。

 一瞬、君はため息をついて少しだけ頭を遠ざけた。5分程の秘め事であった。

 君は君で、大学時代、僕と付き合っていたころ、同郷のS君と日光へ2人旅していた。一つの床に寝たが体は閉じたままだった、との君の言葉。君の下宿先で3、4度、S君と鉢合わせたこともあった。

 だが、3年前、君は何も語らず、粛然と天国へ旅立ってしまった。

 53年余りの夫婦旅、楽しかったよ。感謝しかない。酒好き、女好き、活字文学大好き男。今でも好きですか。そっちへ行ったら聞かせてよ。あの荻窪の夜、本当に気づいていなかったですか。天に召された君へ。

■シャネルの香水 節子(仮名・80歳・静岡県)

 今年の5月に十七回忌を終えた主人とは、友人の紹介で知り合いました。

 ある秋、私が残業で夜9時に帰宅する途中。最寄り駅を出てすぐのところで、彼は壁にもたれかかって待っていました。日曜日のデートの約束だけして帰った、まだ手も握ったことのないころのことです。1年後に結婚し、1男1女に恵まれました。高度経済成長時代、主人はモーレツ社員となり、地位も上がり、幸せな日々でした。

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