小学校高学年になると、沢田研二さんの熱狂的なファンになった。高校を卒業するとき、「沢田研二さんと結婚したい。世界を平和にしたい。演劇がやりたい」という三つの柱を胸に上京。

「今寂しいなと思うのは、世界平和は、遠くなるばかりのような気がすることです。私は、自分の子供をもてなかったので、その代わりに、世界の子供たちの面倒を見なきゃいけないと思っていて。劇作家協会の会長を引き受けた理由の一つも、人がやりたがらない仕事をやることで、何でもいいから社会に貢献したいという気持ちがあったから。会長職をやることで、すぐカッとなってキレやすい自分が、(撫で声で)『お世話になります~』なんて、しおらしい態度が取れるようになった。“馬子にも衣装”ならぬ、“馬子にも役割”とでもいいますか(笑)」

 日本では、経済的には十分に恵まれていても、自分のことしか考えられない人が多いことについて、えりさんは嘆息する。

「昔なら、松下幸之助でも福沢諭吉でも二宮金次郎でも、お金がある人や儲かっている人は、積極的に社会に還元しようとしていた。昔の偉い人はみんなそうしていたし、それを私たちは偉いと思って、見習おうとした。私も、生まれて初めて読んだ伝記はシュバイツァー博士でしたから、いつかは世のため人のため、という気持ちは、幼い頃からありました。でも今は、話題になる人や、若い人が憧れる大人が、単なるお金持ちばかり。『自分はこれくらいでいいから、あとは人のために使おう』という大人が、もっと増えていけばいいのにと心から思います」

 とはいえ、大きな仕事が終わった後に、少しだけ贅沢をするようなことは?

「ないですね。ウチの父は教員で、母は農協の職員でしたが、戦中はお国のために働いて、戦後は子供のために働いて、今は認知症(苦笑)。山形で、別々の老人ホームに入っています。そういう親の人生をずっと見てきたので、私がうっかりダイヤモンドの指輪なんか買ったら、両親に申し訳なくて。死にたくなっちゃうかもしれない(笑)」

(菊地陽子、構成/長沢明)

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