毎年1本、新作を書き下ろしているが、ドラマに映画に舞台など、出演作は引きも切らず、劇作家協会の会長職までこなす中、どうやって戯曲を書いているのだろうか。

「稽古があって、帰ってきて夜中に書くこともあれば、朝早く起きて書くこともあります。私が、事務所に所属して、テレビや映画、舞台の仕事でお金をいただいている以上、『自分の芝居があるから3カ月お休みをいただいて、ホテルに缶詰めになろうと思います』とか、そういう勝手なことはできないんです。さらに『役者もやって、新作もやってなんて、面白いことできるわけがない』って偏見もあるわけで、その偏見と闘わないといけない。私は女だし、押し出しも強く見られるので、見た目的にも不利(苦笑)。宮藤官九郎さんなんて私よりもっと大変なはずなのに、あのぬぼーっとした風貌のせいか、押し出しが強く見えないのが羨ましいです。宮藤さんとは、いろんなところでお会いします。うちの芝居も必ず来てくださるんですけど、ステージから、宮藤さんを見つけちゃうと、いつも真剣すぎて目が怖い(笑)。きっと、常にいろんなことを観察しているんでしょうね」

 小さい頃は、画家、歌手、ファッションデザイナー、バレリーナなど、新聞や雑誌や本など、活字媒体を通じて目に入るキラキラした職業の全てに憧れた。

「テレビのない時代でしたから、森下洋子さんの写真を見れば『バレエって素敵!』って興奮したし、手塚治虫さんの、少女がオペラ歌手として成功する『赤い雪』っていう漫画を読んだ時は、『オペラ歌手になりたい!』って思いました」

 そうしてある時、歌も、踊りも、絵も、衣装も、全部が入っているのが演劇だということに気づく。

「子供の頃は、おままごとをやっていても、私がセリフを作っていましたし、小学校2年生の時、友達の誕生会でお芝居やろうということになった時も、私が、口づてでセリフをつけて。そこから、文字に書き出して、ついには稽古をし始めた(笑)。どうもその時、私、『違う、そうじゃない!』って、泣きながら友達に稽古をつけていたらしいんです(笑)。40の時も、『演出しながら泣いてましたよ』ってわかぎゑふさんに言われたことがあるけど(笑)」

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