ですから転生は打ち止めにしたいですね。三島さんが亡くなる3日前(午前0時を廻っていたので正確には2日前)の電話で、僕が描いた三島さんの裸像を見て、「あれは俺の涅槃(ねはん)像だろう? そーに決まっている」と自分で決めつけていましたが、その口調から想像すると、もう輪廻(りんね)の輪から脱却して、不退の土(ど)である「涅槃」に行くのを決めているという意志の強さを感じました。切腹するほどの強い意志で死んでいった三島さんは、きっと不退転の人となっていると思います。

 ある時、まだ現世に未練があった時、僕は転生をして宝塚歌劇団の男役のトップスターになりたいと思っていました。ただ女性に転生するのではなく、女性でありながら男性を演じる、両性具有に憧れていました。芸術は両性具有の原理によって作品が誕生するので、そんなメカニズムを肉体で体感したいと思ったからです。でもタカラジェンヌに転生することも止(や)めました。タカラジェンヌの賞味期限は短いので、退団したあとのことを考えると、どーもネ、と思ったんです。まあ半分冗談、半分本気でしたけれど、今は何にもなりたくないですね。まあなるとすれば宇宙人に転生して、UFOで地球の未来を見物したいと思っています。

 デハ、チキューノミナサンオゲンキデ、サヨウナラ。

■瀬戸内寂聴「ついに出たUFOの話、大喜びです」

 ヨコオさん

 あの世は階層に分かれていて、その人の質によって、一度その段階に入れられたら、上下の階層の人とは往復出来ないということ、谷崎さんの小説『痴人の愛』のナオミのモデルのせい子さんから聞かされたことは、この往復書簡の中で、すでに話しましたね。せい子さんはその階層の上下を決められる死人の質のことを、非常に重くとらえていて、下の段階に行かされる人物ほど、上の段階より劣る人物だと断言していました。

 もし、ヨコオさんと私が死ねば、絶対、ヨコオさんが上層で私が下層の段階にやられることでしょう。そして、私は、この世では、ヨコオさんにバカにされるほど、愚直に、小説家としての自分の立場にしがみついているように、あの世でも、与えられた下層の段階で涙ぐましく励みつとめることでしょう。それだから、私とヨコオさんは、この世限りの縁しかないと思います。何だかロマンチックな関係でいいじゃありませんか。平野啓一郎さんの、今、あたっている小説『マチネの終わりに』みたい。

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