宝塚で学んだことは数えきれない。社会人としてのイロハから、芸事の基礎、目標を持つことの大切さ、物づくりの楽しさまで。

「大げさに聞こえるかもしれませんが、甘ちゃんだった私は、宝塚によって“更生させていただいた”と思っています。それまでは、いかにラクするかを考えるような、世間知らずの根性なしでしたから(笑)」

 麻実さんが男役で活躍した1970年代後半は、「ベルサイユのばら」や「風と共に去りぬ」などの宝塚の歴史に残る作品が次々に生まれた時期。「そういった名作誕生の瞬間に立ち会えたことも、ラッキーでした」と麻実さんは振り返る。

 職人だった父から受け継いだ血だろうか。「これ!」と決めて、凝りだしたら、工夫や手間は惜しまなかった。たとえば、「風と共に去りぬ」でレット・バトラーを演じた時は、衣装さんが用意したタイが気に入らず、銀座の和装小物屋まで出向き、帯締めを買ってきた。

「レット・バトラーは、キザで、ちょっとゲスっぽい男の人なので、帯締めをタイの代わりに結んだんです。あとは、遠くからなら、ダイヤに見えるかもと、適当なガラス玉を見繕ってタイピンにしたり」

 努力を重ねて、自分を成長させながら、80年には、雪組のトップに。その瞬間、トップを降りる時期についても思いを馳せた。

「男役として最高の、一番いい時期に降りたいと思いました。花にたとえるなら、蕾の時期からお稽古を始めて、蕾がほころびかけた頃にステージに立って、七分咲き、八分咲きぐらいでトップになるのが、理想的だと思った。『これからもっと華やかに咲き誇るかもしれない』と、お客様に期待させるような美しさをお見せすることが大切で、花が満開になってしまったら、その先に想像するのは、『散ること』になってしまうでしょう? もちろん、宝塚もお芝居ですから、いろんなキャラクターがいますし、そのほうが面白い。ただ、私の信条として、トップと言われるからには、『これぞ宝塚!』というものをお見せできないことには、自分が許せなかったんです」

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