その光景がスタッフの心に点火する。何とかしてあげたい、何とかならないか。住宅までの距離の遠さはふっとび、フットワークよく通う。「痛みが強い」「食べれない」「分泌が多い」「熱が出る」「眠れない」などなど、訴えは次々に湧く。

 人の体は火山だ。予期せぬ訴えが次々に噴出する。その都度看護師たちは、訴えを受け止め、考え、行動に出た。信頼は相互作用で熟成していく。

「葬式は一番安く、でも花はケチらんといて」

 とお母さんの遺言。亡くなったあと、看護師が近くのスーパーでお弁当を買い家族に渡した。知り合いの葬儀屋から棺(ひつぎ)を買い、皆でお母さんを抱き階段をぐるぐる回って、1階に置いた棺に入れた。往診車で棺を霊場まで届けた。夕方、骨壺(こつつぼ)を抱いて3人が診療所にやってきた。その時の長女さんの言葉、「私、将来看護師になります」。毎年10月3日は来た。「私、再婚しました」「私、保育士になりました」「私、介護士ですが、看護師目指します」「私、看護師になりました」「私、結婚しました」「私、子どもできました」。年々、報告は変わる。花の中にはいつも吾亦紅が入れてある。10月3日、私たちも温かいものに触れ、柄にもなくホスピスケアの原点という言葉に襟を正す。

「◎」

(徳永進)

週刊朝日  2019年11月15日号より抜粋