1例目。60歳代のサラリーマン、膵(すい)がんの末期を迎えていた。家での最期を望まれたが、トイレにも歩けなくなった。共働きの奥さんも職場が忙しく、看病が続けられなくなり、彼は入院した。入院後も奥さん、足が遠のき、嫁いだ2人の娘さんが時々見舞うくらい。放られた患者さん、という寂しい印象を受けた。私たちも一歩出遅れ、出遅れたまま最後の日を迎えた。お別れの水をする時、奥さんが言った。

「あなたといっしょで幸せだったよ。次の時もいっしょになりたいね」

 間髪入れず娘たち、

「嘘ばっかり、喧嘩ばっかりだった!」

 2例目。総合病院からの紹介。肺がんの末期の70歳代の男性。認知症もあり、10日以上も続くせん妄、点滴の自己抜去。家族に付き添ってもらわないと病棟スタッフも手におえない状態。困り果てた末、「家で見ます」と妻と息子が決心。そこで在宅診療、訪問看護の依頼となった。部屋中を這(は)いまわるので机の角に頭を打たぬようにと、家具も本棚も撤収され、何もないガランとした畳の部屋が作られた。

「とにかく寝させて下さい、私たち何日も寝てない!」

 と奥さん。せん妄対応の薬と睡眠薬を飲んでもらった。夜中に呼ばれ、精神安定剤の注射も打った。6日目の夏の日曜の朝7時、電話が入った。「主人が起きてこない」。訪問ナースと急行すると、すでに冷たくなっておられた。渡していた少し強めの睡眠薬の残薬が、なぜか少なかった。

 現代の平和時でも、私たち医療者の俊敏な動きと真心が満ち足りないと、死は「×」としてやってくる。

■吾亦紅(ワレモコウ)

 この10月3日の夕方の6時、花のブーケを持ってきた家族があった。

「あれから15年です。今日が母の命日」

 と50代の女性。20代後半のお嬢さん2人を連れて。亡くなったお母さんは小腸の悪性腫瘍(しゅよう)、肋骨(ろっこつ)から皮膚へ浸潤、自壊していた。家は郊外の離れた市営住宅の4階。50代の女性はそのころ2人の子を養うためにフルに仕事をしていた。局所のガーゼ交換を看護師に教えてもらい覚えたのは2人の孫娘。耐える患者さん、ケアする孫娘。

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