1946年トラック島で多くの戦友を失い、島を離れる船上で作った句。戦場での死、痛ましい、傷ましい。人類が始まってから存在する死の形で、今も消えることのない死の形。

「ホスピスでの死」は、デパートの高級婦人服売り場の服や美しい宝石のように思われているのが気になる。死はきれいごとでは済まされにくい。

 確かに、死の医療の現場で働いている人たちは、患者さんや家族が辛くないよう、困らないよう、何か力になってあげたい、と思っている。患者さんの緊張した顔にほっとする表情が浮かぶようにしてあげたい、と思っている。それはほんとう。

 でも、その志が良い香りだけで、甘く美しいものだけで構成されると思われると困る。それだけでは仕事の持続は難しい。死は当然、顔や身体の変形、欠損、変色、異臭を伴うものであることも知っておきたい。

 兜太の句、句の根っこにそのことが押さえられている。右手に兜太の句を、左手に末期の患者さんの顔に笑顔が戻ることを願うホスピス・スピリッツを、持っていたい。

■「◎」・「○」・「△」・「×」

 患者さんが亡くなられてしばらくして、診療所のスタッフが、その患者さんや家族とのやりとりを振り返るために「デスカンファランス」を開く。痛みはどうコントロールされたか、胸水・腹水にはどう対応したか、発熱の対応はあれでよかったか。最後のところで生じるせん妄への対応、苦しみが楽になるためのセデーション(鎮静)の方法はあれでよかったか。大きな後悔が本人や家族に残っていなかったか、家族とのコミュニケーションは熟成していったか、など。最後の総合判断をぼくは付ける。評価は4段階。

「◎」・「○」・「△」・「×」

 その記号が横並びになっている。どれとも判断しにくい時は、この四つの間の「・」印に赤マルをつけたりする。

 戦場での死に立ち会ったとすると、「×」どころかさらに右方に「×××」印を作って、それに赤マルをつけたいくらいだ。平和の時代の臨床での死にも「×」はあるのか、と思われるかも知れない。ある。とりあえず思い出した二つの「×」。

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