相手や味方はどんな位置にいるか、どこのスペースが空いているか。それを把握した上で、ゴールを奪うためにどうプレーするのが一番正しいか。ボールを持っていても、いなくても、久保がいつも首を振って状況を見続けているのは、瞬時に判断するためだ。

 今年の夏前まで所属したJ1のFC東京のあるスタッフは、練習で久保に驚かされたことがあった。シュート練習の狙いを聞くと、GKが取りづらいように、わざと手元でワンバウンドする弾道を狙って蹴っていたという。

「そんなこと考えてやっている選手は見たことがない。ゴールを奪うというサッカーの本質からぶれていない」

 小さいころから、日本では規格外だった。サッカー経験者だった父親の影響で、2歳でボールを蹴り始めた。8歳で、スペインの強豪バルセロナが主催する日本でのキャンプに参加。最優秀選手に選ばれ、現地バルセロナのスクールに招待された。

 10歳でバルセロナの育成組織に入団するまで、J1川崎のU10(10歳以下)やU12で年上相手に遜色なくプレーした。持ち歩いていたスペイン語の単語帳は真っ黒で、ぼろぼろ。試合映像を見るミーティングでは、画面に映っていないプレーを想像してコーチと議論をかわすほどだった。

 長く日本代表のエースだった本田圭佑(33)も、将来性を見込んだ一人だ。久保が11歳ぐらいのころ、知人を通じて会い、一緒にフットサルをしたことがあるという。

「すごい技術で、これだったら世界のトップの中のトップを狙えるのではないか、というのが第一印象だった」

 15年には、バルセロナが「国際移籍は原則18歳以上」という国際サッカー連盟の規則に違反して処分された影響で、当時13歳だった久保も帰国を余儀なくされた。FC東京のU15チームに入ったが、

「最初はあんまり練習とかも行きたくなくて、結構つらい時期もありました」

 と振り返る。

 それでも順調に階段を上り、16歳でトップチームで初ゴールを奪い、プロ契約も結んだ。そのときの記者会見で、自国開催となる東京五輪について、こう言った。

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