由紀:ちょいちょい着(ちょっとした外出で着る着物)のおしゃれが似合う女性でいたいなあと思っていて、私は女優の池内淳子さんが大好きだったんです。池内さんはふだんから何気なく素敵で、「私は沢村貞子さんみたいに、さらっと着物を着たいのよ」とおっしゃってたけど、そういう方がみんなあっちに逝っちゃったでしょ。

林:そうなんです。

由紀:杉村春子先生も森光子さんもそうだし、このあいだ雪江さんも逝っちゃったしさ。

林:ゆきえさん?

由紀:朝丘雪路さん。あの方はジャズも歌って、歌謡曲も歌って、踊りも深水流というご自身の流派を立ち上げたでしょ。雪江さんが亡くなったのはけっこうショックでした。

林:由紀さんはそういう芸者さんをやるような女優さんの系譜に連なってますよね。今、若い女優さんが芸者さんの役をやると、どう見てもコスプレという感じですけど。

由紀:着物は「着るより慣れろ」というか、日々それで暮らしているかどうかが所作にあらわれますよね。うちの母は、私が小学校5~6年まで着物を着ていたので、私はそれを見て育ったんです。母は着物教室で着付けの先生をしていて。

林:由紀さんの『明日へのスキャット』(集英社)という本を読ませていただきましたけど、お母さま、すごい方だなと思いました。教育の面では、自分が前に出て子どもたちを守るという感じで、学問の道に進む子にはそのための教育を受けさせて、歌の道に進む子にはこういう教育をって、ちゃんと見きわめてらっしゃったんですよね。

由紀::母は子どもたちに「どうしたいの?」って聞いて、情報だけを集めて、「選ぶのはあなたよ」というやり方でした。私たちは最初、桐生(群馬県)で生まれて、それから横浜に移ったんですけど、兄は「東京工業大学に行きたい」と言って化学を学んだんです。卒業して就職し、機会をいただいてMIT(マサチューセッツ工科大学)に留学しました。社会人の留学はまだ珍しい時代でした。

林:お兄さまもすごいです。

由紀:お姉ちゃん(安田祥子さん)は、「性格とか声の質でクラシックに進んだほうがいいだろう」というひばり児童合唱団の先生のすすめで、うちの遠い親戚で声楽を教えている先生のところに通ったんです。

林:そして芸大に入られて、そのあとニューヨークのジュリアード音楽院に行かれて、芸大の先生にもなられたんですよね。

由紀:そう。私は「歌を続けたいなら、それを許してくれる学校に行きなさい」と言われて、ひばり児童合唱団の先生のツテで、洗足学園第一高等学校というところに入って、「あまり目立たないように」みたいなことを先生に言われながら歌の勉強をしてたんです。クラシックをやってもお姉ちゃんを越えられないと思って、ジャズを習いに通ったり。

林:そうなんですか。

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