病気はデメリットばかりではなく、こーいう心境にさせてくれるだけでも病気になる価値があります。まあ、半分は負け惜みで言っているんですが、僕みたいに毎年のように入院している人間は、こーいう考えでもしなきゃ生きていけません。今日も、この手紙を書き終ったら、病院に行きます。病院に行く時は旅行かコンサートに行くように、ウンとおしゃれをして行きます。ダテ眼鏡を掛けて、ソフト帽を被(かぶ)って、オーダーした竹製の杖を持って、真赤(マッカッ)カのスニーカーを履いて、病院中をパッと明るくさせる気分で参ります。自分のためにも、他の患者さんのためにも、元気オーラを発散させるためです。絵では役に立っていませんが、こーいうところでは、少し役に立っているかな? お前はアホか! という視線も感じますが、人間はアホにならんとアカンと、養母の母の家宗の黒住宗忠神は江戸時代におっしゃっています。83歳になると、アホになる生き方しかできません。僕はアホになろうとしなくてもそのままアホだから、気が楽です。これからはアホっぽい絵ならなんぼでも描けます。さあ、病院へうんとオシャレをして行こう。病人は身ぎれいにした方が治り易いです。これ本当!

■瀬戸内寂聴「寂庵に可愛い黒と、デンとした白猫がいて」

 ヨコオさん

 少しは元気になりましたか?

 もう病院は卒業しましたか?

 いくらお好きでも、入院と聞くと、ギョッとするから、なるべく家に居て下さい。

 成城のヨコオさんのお宅は、もと、音楽家山田耕筰さんのおうちだったそうですね。大正時代のロマンの残った感じの、ゆったりしたいいおうちですね。

 奥様がまた、超のどかで、おうちにとても似合っています。

 私は玄関につづいた応接間しか知らないけれどそこもゆったりしていて、気分がたちまち安らぎます。

 応接間にはいつもヨコオさんの愛猫がいて、わが物顔に、おさまっていましたね。そういえばあの猫は亡くなって、ヨコオさんが嘆き悲しんでいたのを思いだします。その後にもまた猫が来ていました。

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