歴史を通じ、とりわけ近現代において、皇室は時代の流れに沿うよう努めてきた。これは令和の時代でも変わるまい。そして当然、令和ならではの展開もあるだろう。天皇がなしうることは、じつに限りない。残念ながら平成は自然災害の多い時代だったが、上皇夫妻は被災者を慰問し、励ます役割を果たしてきた。令和の時代も予期せぬ展開があるにちがいないが、現在の天皇皇后もかならず最善を尽くすはずである。

■靖国神社とは距離

 靖国問題に関していえば、徳仁天皇が早い時期に靖国神社を参拝することはなさそうだ。天皇が靖国神社を訪れなくなってから、すでに44年が経過している。これはじつに明治時代に匹敵する期間である。そのことの意味は明白であろう。

 皇室は靖国神社が鼓吹する国史のとらえ方に賛同していないのだ。たとえ戦犯合祀問題が解決されたとしても、日本は少しも悪くなかったという見方を含む靖国流の歴史観が遊就館で展示されているかぎり、皇室の歴史意識とは相容れないものがある。靖国神社が変わらない以上、天皇が靖国を訪れるのはずっと先になるだろう。

■待ったなしの皇位継承問題

 最後に、令和の時代に日本の政治家には、皇室制度の法的枠組みに由来する皇位継承危機にたいし、決定的な行動をとってもらいたいものである。皇統の今後はじつに危うく、まさしくその将来は13歳の悠仁親王の肩にかかっている。その重荷にはたして彼は耐えることができるだろうか。

 いうまでもなく、皇位継承危機に備えるため皇室典範をどう改正するかは、日本人を二分する問題である。戦後は女性天皇容認論が思わぬ方向から出されたこともあった。

 たとえば5年間の総理在任中に中曽根康弘ほど「日本の伝統」を賛美した首相はそういない。しかし1950年代半ばに、彼は女性天皇を容認するよう皇室典範の改正を求めていたのだ(いまもそうだ)。

 国会での議論が待たれる。(訳/木村剛久)

週刊朝日  2019年11月1日号