切れそうになる村上の気持ちをなんとかつなぎとめたのは、母のそんな気遣いだった。

 モチベーションが上がりきらない日々に終止符を打ったのは、日体大に入学した直後の15年4月に出場した全日本個人総合選手権だった。

 腰に痛みを抱えていた村上は、決勝のゆかで最後に予定していた技をやらず、演技を終えた。24選手中、21位という散々な結果。学校に戻ると、瀬尾京子監督から言われた。

「考えを改めなさい」

 瀬尾監督が振り返る。

「本人は腰痛を言い訳にしていましたけど、我慢すればできた。要するに、気持ちが未熟だったんです」

 村上も自分の甘えを分かっていた。

「ついに言われてしまったかという感じだった」

 だから、心に響いた。気持ちを入れ替え、体操に再び集中すると、才能がようやく開花した。翌年にはリオデジャネイロ五輪に出場。17、18年の世界選手権での躍進へとつながっていった。

 今も村上は瀬尾監督から言われた「考えを改めなさい」という言葉を大事にしている。そして、今の自分は4年前とは絶対に違うと信じている。

 リオ五輪で満足な結果が残せず、引退を先延ばしして目指す東京五輪。NHK杯の後、

「仲間っていいなとか、一人でやっていけるかなとか、2、3カ月はネガティブな気持ちしかなかった。何を目標に頑張ればいいかなとか考えていた」

 ともやもやしながらも、走ること、動くことをやめなかった。

 シニア選手権の村上の体は、5月よりも格段に締まっていた。

「人よりも一回多く」
「疲れてもあと一回」

 と動き続けた成果だ。

「頂点に行ったり、どん底に行ったり、波が激しすぎて、気持ちを作るのがすごく疲れる。でも、五輪まであと少し。乗り越えたらいいことがあると信じている。そこへ向けて頑張ることしか、考えていません」

 ゆかで見せるH難度の大技「シリバス(後方抱え込み2回宙返り2回ひねり)」は、世界で数人しかやらない、彼女の代名詞だ。この技を武器にして、女子の体操ニッポンを引っ張っていく。

週刊朝日  2019年11月1日号