救急車で運ばれる時の描写など9度の高熱の病人の観察や記憶とは、到底思えない見事な活写でした。

 よくぞ高熱のモーローとした意識でここまで観察出来たものよと、空おそろしくなりました。

 それにしても、ここに83歳の御本人が書かれたような空おそろしい病状なのに、翌日、早々に退院出来たことは何よりでした。

 ホッとしたと同時に、私も、救急車を初体験したことを想いだしました。

 まだ黒髪が腰まであった出家前の晴美さん時代。漸(ようや)く売れてきた頃。

 東京の警察の救急車に乗って、深夜、東京都の四方八方を駈けめぐるという取材がとびこんできました。勇んで出かけると、赤塗の車が待っていて、運転手と私の外(ほか)に二人しか警察の人はいませんでした。二人は黒っぽい背広を着て、普通のサラリーマンのようでした。見苦しくない程度の、普通のおじさんでした。今夜は夜なかじゅう、東京都を走り廻ると説明されました。

 さて、どこから行くのかと言えば、車についている、救いをもとめるベルの鳴る所へ、飛んでゆくのだということです。

 何でも見たがりやの、好奇心の権化のような私は、そんな説明を聞いただけでもうわくわく舞上(まいあが)ります。

 車はピーッと音をたてて走りだしました。その速いことったら、あらゆる車を蹴とばすような勢いで走ります。行手(ゆくて)の車はまるで殿さまの行列を地べたに坐って見送るように地に這いつくばっているのです。その車は病人を運ぶより、事件を起し、救いをもとめている所へ駈けつけるのです。公園の暗がりで、チカンに襲われようとした娘とか、壮絶な夫婦げんかを隣家の人が知らせてきたとか、ヤーさんの小ぜりあいとか、車の救いのベルが鳴る所へ、すっ飛んでゆくのです。

 人世の縮図、たしかに面白い絵巻物でした。全く忘れていたその夜の始終を、ヨコオさんの手紙でありあり思いだしました。

 誓言一つ、今後、私の原稿が遅れたら、お尻にお灸(徳島弁ではやいと)を据えられても文句は申しませぬ。どうぞ御身御大切に。では、また──。

週刊朝日  2019年10月25日号