「お熱は39度です。死を考慮に入れる高熱です。肺炎の疑いがあります」とまた検査、検査そのものが痛くて気持ち悪いことばかりするのだが、まな板の鯉になるしかないです。「意識はありますか?」。そうか39度にもなると意識がなくてもおかしくないんだ。とにかく息づかいが荒く、苦しい。健さんも裕也もヒデキもショーケンも最後のドタン場は今僕が遭遇しているような状態に全員直面していて、こんな苦痛と闘いながら、ひとりひとり、あちらへ旅立ったんだろうなあと死のシミュレーションを想像させられている。時間は深夜で間もなく、日付が変更する。12時過ぎてから、一度、タンカで移動してCT撮影室へ。ここが北極の氷の下より寒い。CT撮っている間にもっとひどい病気になるのではと恐れる。CT室から連れ戻されても点滴やその他のチューブはそのままくっついたままで説明は一切ない。

 それにしてもこの小泉進次郎的イケメンのお兄さん達はよく働く、動きっぱなしだ。それが僕のために動いているのか、何のためなのかわからない。

 こうして日が変わって翌朝、我が家に戻ることになった。ベッドに入っても集中治療室の中にいるような気分で、自分の体が半ばサイボーグ化されたようです。

■瀬戸内寂聴「救急車から私も見ました、人世の縮図」

 ヨコオさん

 退院してやれやれと思ったとたん、たちまちまた9度の高熱をだし、救急車で運ばれ、またまた入院されたのですって? 何とまあ、心配ばかりさせる人でしょう。9度の熱って39度のこと? つまり40度近い高熱なら、そりゃ、意識も消えかかったことでしょう。ヘンなうわ言でなかったかしら?

 救急車で運ばれる途中の描写が微に入りいきいきして活写されているのに愕(おどろ)きました。

 さすがに、私がヨコオさんの体内にひそんでいた文才の匂いをいち早くかぎ取り、親しかった井上光晴さんに、井上さんの出していた文芸雑誌「辺境」に、何が何でも処女作を書いてもらえとけしかけて、それが実現し、見事その後、「泉鏡花賞」を取り、画家の才能ばかりでなく、ユニークな不思議な小説も書ける文才の持主だと証明されたことでした。一芸に秀(ひ)いでた人は多芸にも秀いでるという通説もヨコオさんが身を以(も)って、納得させてくれました。

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