「時代時代で、いろんなタイプの作品を上映しました。世代によってうちで見た映画が違い、思い出も異なるのではないでしょうか」とフィルムを前に語る興行部の加藤和人さん (撮影/写真部・馬場岳人)
「時代時代で、いろんなタイプの作品を上映しました。世代によってうちで見た映画が違い、思い出も異なるのではないでしょうか」とフィルムを前に語る興行部の加藤和人さん (撮影/写真部・馬場岳人)
「レット・イット・ビー」(70)上映の際は、ステージに上がり映像をなでる女性ファンが出た (撮影/写真部・馬場岳人)
「レット・イット・ビー」(70)上映の際は、ステージに上がり映像をなでる女性ファンが出た (撮影/写真部・馬場岳人)
(撮影/写真部・馬場岳人)
(撮影/写真部・馬場岳人)

 映画の街・有楽町で愛されてきた名館が、施設老朽化などを理由に幕を閉じる。

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 前身の丸の内スバル座が現在と同じ場所で創業したのは、1946年。GHQが、アメリカへのイメージ向上のため主導した。48年には皇太子(現上皇)、常陸宮が訪れ、淀川長治氏の解説のもと鑑賞したこともあった。

 53年に焼失したが、66年に有楽町スバル座として復活。最初の作品は、吉永小百合と浜田光夫共演の「愛して泣いて突っ走れ」。すぐ洋画ロードショー館に変わり、「イージー・ライダー」(70)、「バニシング・ポイント」(71)が大ヒット。72年からは毎年夏にスヌーピー作品を上映し、親子連れでにぎわった。80年代になると、「ブリキの太鼓」(81)などヨーロッパの個性派作品の紹介に力を注いだ。

 最終上映日は今月20日だ。(取材・文/本誌・菊地武顕)

週刊朝日  2019年10月25日号