下村:臨終の場面、腕を組んで見つめているお医者さんを初めて見ました。心臓マッサージをするとか手立てをとるだろうに何もしない。その勇気を感じたというか。

小堀:僕はあのひとの奥さんをあそこで看取っているんですよね。視覚障害の娘さんと二人で献身的に、とにかく自分たちでぜんぶやっていた。あのときは、そういう歴史を思い返していたのかもしれない。

──驚いたのは、小堀さんがその前、危篤状態で席をはずされることでした。

小堀:「家族が看取るんだ、医者じゃない」ということをすでに実践されていたひとがいて、そのひとは、いよいよ亡くなるというときに看護師と目を合わせ席をはずすんだという。だから僕のオリジナルでもなんでもないんです。もちろんそばにいないといけない場合もあるんだけど。

下村:撮影者として同行していて、そういうヒリヒリする場面がいっぱいありました。先生はこういうふうにおっしゃるけど患者さん大丈夫かなということとか。それは経験や患者さんとの関係の積み重ねがあってのことだと編集のラッシュを見ながら気がつくことが多かったです。

──撮影中に疑問が生じると、下村さんはカメラを止められるんですか?

下村:迷っているときは撮っています。でも、いつカメラを下ろすべきなのか、迷いながらのことも多くて。もちろん止めてくれと言われたときには止めますが、許された状況のときには迷ったら撮れというのは先輩から教えられたことで、それは守っています。

──撮影することができた64家族中、映画では9家族が登場します。なかには下村さんと同年代の女性の患者さんもいました。

小堀:同じ年齢で同じがんの末期でも、自宅に帰りたいという人もいれば、病院が安心だという人もいる。僕が非常に印象に残っているのは、死にゆく人というのは、言葉は発せられなくなっても目つきででも何かを伝えようとすることです。これは『死にゆく人たちと共にいて』というマリー・ド・エヌゼル、パリの緩和病棟で7年間働いた心理療法士の本に書かれていたことですが。

下村:それがこの映画につながっている。

小堀:そういうことですね。だから、これは死者がつくった映画なんですね。

(聞き手・構成/朝山実)

週刊朝日  2019年10月18日号