「もっと暑くなれ」男子マラソンの中村匠吾と駒大監督の挑戦 (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

「もっと暑くなれ」男子マラソンの中村匠吾と駒大監督の挑戦

堀川貴弘週刊朝日#2020東京五輪
MGC男子の41キロ付近、ゴールに向かう(手前から)中村匠吾、大迫傑、服部勇馬 (c)朝日新聞社

MGC男子の41キロ付近、ゴールに向かう(手前から)中村匠吾、大迫傑、服部勇馬 (c)朝日新聞社

ゴール後、駒大の大八木弘明監督(右)らと喜ぶ中村匠吾(中央) (c)朝日新聞社

ゴール後、駒大の大八木弘明監督(右)らと喜ぶ中村匠吾(中央) (c)朝日新聞社

 振り返れば、初マラソンでMGCの出場権を獲得した昨年のびわ湖毎日、2時間8分16秒の自己ベストを出したベルリンも開催時期にしては気温が高かった。逆に2時間14分52秒で15位に終わった今年の東京は寒さにやられた。

「暑くてもね、移動中に車のエアコンを切ってくれって。こっちは暑くてしかたがないのに」

 そんなエピソードを福嶋監督が明かしてくれた。

 戦略も当たった。

 レース前日の朝にラストの5キロくらいを試走した。その時に中村は感じた。

「最後の800メートルの坂が間違いなくポイントになる」

 まさにその場所で、大迫を振り切った。

 三重県四日市市出身。小学5年の時に内部陸上少年団に入り、陸上を始めた。小学6年だった2004年、アテネ五輪女子マラソンで同じ三重県出身の野口みずきが金メダルを獲得したのを見て、

「マラソンは五輪の花形種目」

 と意識するようになった。

 内部中3年の時に都道府県対抗駅伝に出場。上野工高(現・伊賀白鳳高)では3年連続で全国高校駅伝を走り、2、3年では花の1区を任された。

 高校時代の恩師で12年に亡くなった町野英二監督の言葉を今も心に刻んでいる。

「激流の中の、木の葉のごとくうまくレースを進めなさい」

 レースの流れにうまく乗り、最後の勝負どころを見極めてスパートする、そんなイメージだろうか。

 MGCのレース後、中村はこう語った。

「町野先生の教えをうまく実践できたレースだったのかな、と思います」

 駒大出身で元日本記録保持者の藤田敦史(現・駒大コーチ)に憧れ、中学時代から駒大への進学を希望していたという。

 願いがかなって進んだ駒大では、同学年の村山謙太(26)=旭化成=と二枚看板として活躍した。4年では主将を務め、全日本大学駅伝の4区で区間賞を奪い、史上3校目の4連覇に貢献。箱根駅伝でも1区で区間賞を獲得した。

 大学3年の時に五輪の東京招致が決まった。大八木監督から、

「マラソンで一緒にオリンピックを目指さないか」

 と言われ、

「非常にうれしかった」

 卒業後も大八木監督の指導を仰ぐことを許してもらえる実業団を探した。富士通は藤田を同じように受け入れた経緯があった。


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい