さて、ここでノーベル賞をめぐる話題をいたしましょう。01(明治34)年、柴三郎は第1回ノーベル医学生理学賞の候補となった。受賞してもおかしくはない成果でした。

北里:当時の欧州社会における日本人研究者への評価は、高くありませんでした。受賞したのは、共同研究者のベーリングです。

 しかし嬉しいことに、2015年。柴三郎の孫弟子にあたる大村智先生が「感染症への新しい治療法」で、同じ医学生理学賞を受賞しました。お祝いの席で私は、「114年を経た受賞に、柴三郎が墓地で喜んでいる」と述べたほどです。
見城:孫弟子が……。栄一も、1926(昭和元)年と翌年の2度、ノーベル平和賞候補となります。

■初代印刷局長が最後のモデルに

渋沢:実業界から退いた栄一は、日米を軸に民間外交へと情熱を注ぎます。だが、24(大正13)年に、日本の移民を拒む「排日移民法」が米国で施行されてしまう。栄一は、「放っておけば、大変なことになる」と交流を続けたことが評価されたのです。

見城:栄一が関わった事業として、27(昭和2)年の日米両国の子どもに向けた「人形の交換」は有名ですね。日本に贈られた約1万3千体の西洋人形は、流行した童謡にちなみ、「青い目の人形」と呼ばれます。

渋沢:排日移民法で日米間の感情は急激に悪化しました。「人形」の事業は、法の施行を嘆く、栄一の贖罪でもありました。

見城:戦争が始まると、人形は「敵国人形」として捨てられましたが、300体余りはいまも残っています。

渋沢:ええ。栄一の善意は未来に紡がれています。

見城:柴三郎は、恩人である福沢諭吉の遺志を継ぐ形で、慶応義塾大学の医学部設立にも携わりました。

北里:1917年に慶応義塾の評議員会で医学部医学科の設立が決まり、医学科長に選ばれたのです。10年間、無給でその任を果たしました。

見城:義理堅い人物像がよく伝わる話です。

 最後に、お札の今後について伺いたいと思います。新札が2024年に発行されますが、現在、電子マネーが急速に普及し、政府も25年までにキャッシュレス決済比率40%を目指しています。紙幣のモデルのご子孫として、どう思われますか。

北里:新しい技術が生まれるたびに、人は効率のよい使い方を探して発展してきました。紙幣の流通と電子マネーは別問題ですから、構わないと思います。

渋沢:晩香廬のすぐ近所に、国立印刷局の東京工場があります。栄一は、ここの初代局長を務めています。

見城:奇遇ですね。

渋沢:約20年ごとに発行されてきた新札ですが、次の44年は、紙幣の世界ではないでしょう。実は、財務省の方も、「新札はこれで最後でしょうね」と仰っていた。

見城:近代日本の紙幣の始まりに携わった栄一が、最後の紙幣のモデルを務める。めぐりあわせですね。

北里:今日は、渋沢さんにお会いできて、良かった。

渋沢:ええ、本当に。ありがとうございます。

(構成/本誌・永井貴子)

週刊朝日  2019年10月4日号