写真はイメージです (撮影/堀井正明)
写真はイメージです (撮影/堀井正明)

 95歳で現役賢人、30年以上にわたり読み継がれている『思考の整理学』など多くの著書を持つ外山滋比古さんの新刊『老いの練習帳』(朝日新書)が売れている。大正生まれの知の巨人が伝授する「老いのコツ」とは──。外山さんに聞いた。

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──この一冊を読めば、「人生の歩き方」が見えてきます。巷では「長寿のリスク」なんて言われていますが、そんな思考は捨てたほうがよさそうですね。

 そのとおりです。定年後の人生をおもしろくするには、常識とか知識に縛られない「思考」が大事。リスク回避ばかり考えるなんて、ナンセンス。人間、嫌なことは知らないほうがいい。運悪く知ってしまったら、忘れるが勝ち。「忘れる」のはちっとも悪くない。むしろ「やりすごした」「乗り越えた」わけですから、頭のゴミ出しです。嫌なことをこうして乗り越えるときに、新しいエネルギーが湧いて、人間は元気になれるんです。

──元気になるためにも、「どんどん忘れる」のがいいのでしょうか。

 はい、忘れなければ、危険です。忘却という頭の整理は、生存のための大事な能力です。よく整理された頭は、活発に働き、新しいものを取り入れる力も高まります。これを「未来形の頭」と私は呼んでいます。自分の頭を未来形にすれば、明日は何が起きるだろう?とワクワクしてくる。そのとき、オドオドと未来のことを考えないために課している習慣が、「ゆっくり急ぐ」。これが、私が常々言っていることです。

──ゆっくりなのに急ぐ、とは、どういうことですか。

 要は、生活のリズムに緩急をつけるということです。私は昔からことわざが好きなのですが、「田舎の学問より京の昼寝」というのがあります。あることわざ辞典には「田舎で勉強するより都がいい。ただそこにいるだけでいろんな知識が身につく」などととんでもない間違った解釈が載っていたのですが(笑)、そんなつまらない意味じゃない。これは、「ゆっくり急ぐ」と同義で、「一本調子ではなく緩急のリズムをつけることが、生活には大事である」という意味。つまり、一心不乱に勉強する田舎「モノ」より、勉強の合間に昼寝をする気持ちのゆとりがある都「ビト」のほうが、成果が出るという教訓なんです。「急げや急げ」の一点張りじゃ、休むこと(昼寝)に罪悪感が生まれてしまう。

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