縦ではなく横のつながり。気分や空気で動く反体制運動である。習近平(シーチンピン)政権は表向き静観を決めこんでいるが、元来曖昧(あいまい)さを許さない中国政府ゆえ、苛立ちは相当なものだろう。しかし曖昧さにこそ人間の道理がある。

 芝居の話に戻ろう。

 若者たちの新しい連帯の在り方を本谷有希子は予言していた。劇中で、仲良し3人組はスマホを手にクアラルンプールを旅している。風景に溶け込む自分たちをスマホで撮るが、画面は二次元ゆえ、立体的な奥行きがあるわけではなく、旅の「アルバム作り」にいそしむのみだ。バーチャルな空間が彼らにとっての理想郷とでもいうように。

 道中、スマホのバッテリーが切れそうになって右往左往するシーンがある。平穏さが一転、焦り狂う彼らの表情にこの演劇の核心を見た。スマホが切れた途端、彼らには寄る辺がなくなってしまう。

 生まれては消え、消えては生まれるアメーバのような若者の意識と行動。そこにあるのは規律ではなく気分である。

 香港デモに関しても、デモクラシーに関するこむずかしい論理はなく、「マルクス」という記号もない。

 一つ言えるのは「自由への希求」なのだろう。彼ら若者たちのプライオリティの最上部に「気持ちの良さ」という価値観がある。

週刊朝日  2019年9月20日号

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延江浩

延江浩

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー、作家。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞、放送文化基金最優秀賞、毎日芸術賞など受賞。新刊「J」(幻冬舎)が好評発売中

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