鳥谷敬への引退勧告に東尾修が苦言 「最大限の配慮を」 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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鳥谷敬への引退勧告に東尾修が苦言 「最大限の配慮を」

連載「ときどきビーンボール」

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東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝

今季限りでの阪神退団を表明した鳥谷敬 (c)朝日新聞社

今季限りでの阪神退団を表明した鳥谷敬 (c)朝日新聞社

 私が現役引退を決めたのは1988年の中日との日本シリーズだった。先発ローテーションから外れた私は第1戦(ナゴヤ球場)で、4‐1で迎えた八回無死一、二塁、打者・彦野利勝の場面で先発の渡辺久信をリリーフした。当然、最後まで投げ切るつもりでマウンドに上がった。

 しかし、当時の森祇晶監督の言葉は「この一人を抑えてくれ」だった。次打者には左打者の立浪和義がおり、ブルペンでも左投手が準備していた。森監督からすれば、単純に勝つための最善手として、一人を確実に抑えてほしいとの思いから出た言葉だったろう。しかし、私の受け止め方は違った。彦野を初球、内角シュートで三ゴロ併殺。2死三塁となって、立浪は3球三振に仕留め、わずか4球でピンチを切り抜けた。九回も投げ切ったが、その言葉は私の心に強く残った。その日の夜、知人に引退の意思を口にした。

 中日は山本昌投手に対し、本人から辞めると言うまで理解して契約し続けた。本当に懐が深い球団だなと感じたけどね。現場は最後の最後まで熱い戦いをしている。水面下の動きは水面下のままで、行ってもらいたい。

週刊朝日  2019年9月20日号


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東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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