内田:そしたらだいぶ意識が遠のいてしまっていて、とても遠い目をしてるんです。すぐ(父の)裕也に電話して、「お母さんが今こういう状態だから何か声をかけて」と言ったら、父も急に起こされたからびっくりして、オロオロしながら「しっかりしろ! しっかりしろ!」って。そのとき長男の雅樂(うた)が母の手を握ってたんですけど、裕也がそうやって電話で母に話しかけると、ギュッと手を握り返したというんですよ。

林:まあ、そうなんですか。

内田:長女の伽羅(きゃら)は、アメリカの大学が始まったばかりで向こうに行っちゃってたので、携帯の映像で母を見ながら話しかけていました。自宅に帰ってから11~12時間後にこの状態になってしまったので、声もかけられずにオロオロしていたら、8歳だった次男の玄兎(げんと)が、ほとんどイギリスで育ってるから英語だったんですけど、「体はここからいなくなっても、魂はずっとそばにいるから、マミー、大丈夫だよ」って。

林:えっ、そんなしっかりしたことを8歳のお子さんが?

内田:はい。そう言われて私も「しっかりしなきゃ」と我に返って、母に「ありがとう」って話しかけました。「いよいよこれで最期です」って看護師さんに言われたときに、玄兎が「ばあば、いつもおいしい果物を食べさせてくれてありがとう」って。

林:まあ、カワイイ。

内田:そこでみんなズルッと滑って、「やっぱり8歳の子どもだ」と思って笑っちゃったんですけど、母と父から始まって8歳の子どもまでつながっている内田家の歴史というか、それが走馬灯のように駆けめぐって、みんなで泣いたり笑ったり、温かい時間でしたね。

林:それで、玄兎君をみんなに囲まれて出産したときに似てるとおっしゃったんですね。

内田:すごく似てました。それは私にとって何ものにも代えがたい人生の最高のギフトだったと思います。

林:今、ああしてあげればよかった、こうしてあげればよかったと思うことってありませんか。

内田:それはもう山積みです。母は「ほっといて」が口ぐせで、ちょっとでも人に気をつかわせるのが苦手で、私もだんだん弱っていく母を見ながら、どこまで私が助けていいのかという葛藤にいつも揺れていました。もっと早くイギリスから帰ってきてもよかったんだけど、母に「私のために帰ってくるなんてやめてよ。あなたたちは勝手に生きてて」って言われて。

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