北京で女の子を産んだことも、夫に出征されたことも、最終の日本人の引きあげの、またとない経験の記憶も、今からふりかえれば、すべて時事的な出来事といえます。

 いつの間にか、満九十七歳にもなってしまい、一向に死にそうにない毎日を送り、このまま百まで生きたらどうしようと、いささかあわてている毎日です。

 小学生に上る直前、わが家は引越をして、眉山のすぐ下の町へ棲(す)みました。その町内に大きな風呂屋があり、うちの棺桶(かんおけ)のような風呂より、ずっと気持がいいので、私は毎日その風呂屋へひとりで通っていました。壁には富士山のタイル絵があり、湯舟は、子供の私が泳げるほど広いのです。あんまり人の入らない明るい午后に行くと、ほとんど客はまだなくて、広い風呂場を独占しているような壮快な気分になりました。ところが時々、その時間にひとりで入りにくるお婆さんに逢います。わが家に年寄はいなかったので、おばあさんの裸など、私には間近に見るのは、はじめてでした。私の入っている目の前の湯舟のタイルのふちをまたいで入ってくるおばあさんの裸は、信じられないほど皺(しわ)だらけです。落ちないように湯舟のふちにしがみついて、短い脚を、私の顔のまん前で思いきり上げて湯に入るので、汚い股のしょぼしょぼの毛までまる見えです。「よっこらしょ」と、口にだすので、その人物が生きている人間だとは思いますが、いつか、私や、姉や、母がそうなるとは、どうしても思えませんでした。

 宇野千代さんは、八十過ぎでも、裸の躰(からだ)で風呂場の鏡の中に、ヴィーナスの様に生れた時の姿を映して、その美しさにうっとりされたと書いていらっしゃいました。私も一、二度、その真似をしてみたことがありますが、こっけいなだけで、独りふきだしたものでした。

 ヨコオさん! いつかいっしょにインドに行った時、どこかの海岸で、黒い木綿の学生用の海水着を着た私が、坊主頭に日本手拭いをまいて、海へ走りだしたら、背後の砂場で、Iちゃんと二人で、ころげまわって笑っていましたね、たしか私はまだ五十代で、ピチピチしていた筈なんだけど。イギリス人の別荘のたくさんあるすてきな海岸でしたね。落ちていた椰子(やし)の実の美味しかったこと! ああ、もう二度と行かれないインドの旅、なつかしいなあ! では、またね、ごきげんよう!! 寂聴

週刊朝日  2019年9月6日号