もうひとつ大切なことがあります。便通を整える、ことです。そんなことが?と思われるかも知れません。口から肛門までの消化管の通路に障害があるかないかで、死のつらさは大きく違います。

 心に重荷があると、死はやすらかさから遠ざかります。金遣いが荒く、消費者金融への返済ができぬ息子を勘当した患者さんがいました。がんの末期になり、息子に会いたいと思いましたが行方不明。警察に捜索願を出しました。会ったら

「金のことは心配するな。わしの生命保険の金、使え」

 と言って死を迎えたかった。息子は行方不明のまま。死ぬに死ねない気持ちで苦痛は増幅しました。

 地球環境を守る自然派の運動家ががんの末期になりました。妻と高3の娘との3人暮らし。長年、娘は父を避けていました。モルヒネやステロイド、睡眠薬、それに身体の衰弱、便秘など複数の要因が加わってせん妄状態に。「まっすぐ! まっすぐ!」と言い、パンツ一枚で危なげな足取りで寝室から台所へ突進しました。妻が椅子をよけ、テーブルを移動して難を逃れます。「まっすぐ!」は続き、水洗和式トイレに入り、段差を乗り越え壁に衝突し、そこで放尿しそうになりました。「もっと手前!」と高3の娘がパンツをつかみました。ベッドに戻り、娘は父の背をさすり、涙を流しました。

「何年ぶりでしょう、娘が夫の体に触れたの」と妻。

 家族って難しい。「家族」を押し付けることは、年々難しい時代になりました。60歳の男性は食道がんの末期。「二人の息子に会いたい」と言いました。一人は北海道、一人は鹿児島。男性は離婚し、息子は「おばあさん」が育てました。でも息子たちは母に付いて家を出たかった。

 別れた妻は心筋梗塞で町の総合病院に運ばれ、息子たちは救急室で冷たくなった母の姿に立ち会う。「おやじめー」と恨みました。

 懇願に応え、遠路、渋々病室にやってきた息子二人に男性は、たどたどしい字で「すまなかった、許してくれ」と書いた紙切れを病室で手渡しました。二人は一瞥し、「遅いよね」と言って紙切れをビリビリと破りゴミ箱へ捨てました。

 和解、思いがけず生まれることもありますが、それを求めれば去りもするもの、難しいもの。

週刊朝日  2019年8月30日号より抜粋