更年期障害にうつ病…木の実ナナが公表して得たもの

週刊朝日
 あのとき、別の選択をしていたら……。著名人が人生の岐路を振り返る「もう一つの自分史」。今回は木の実ナナさんの登場です。芸能界に身を置いて半世紀以上。さまざまな苦難もあったけれど、大切な人との出会いと絆も多くあったそうです。まずは太陽のような、はつらつとしたイメージにぴったりな芸名の由来から伺いました。

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 木の実ナナ、って最初は「変な名前だなあ」と気に入りませんでした。どこまでが名字?って。いまでは大好きな名前だし、周囲も「ナナちゃん」が当たり前になっていますけどね。

 芸能界入りのきっかけは、中学3年の学校帰りに友人に頼まれてオーディションに付き添ったことです。楽屋で友人を待っていたら「あなたは歌わないの」と言われて、歌ったら合格しちゃった。62年に「東京キカンボ娘」という歌でデビューして、作詞作曲の菊村紀彦先生に芸名をもらいました。漢字とひらがな、カタカナが全部入っている名前だから、歌えて踊れて、お芝居もできるスターになるように、って。

 小麦色の肌の元気な少女、といったイメージで売り出されたが、実は本人は色白。テレビ出演時にはメイクさんに濃いファンデーションをたっぷりと顔に塗られた。

 顔立ちが外国人っぽかったのか、小さいころからハーフに間違われてずいぶんいじめられたんです。でも大人は優しくしてくれました。東京・向島の生まれで、夜の仕事をするお姉さんや花柳界の芸者さんたちがたくさんいた。彼女たちが仕事に行く前、よく遊んでもらいました。

――木の実は1946年、トランペット奏者の父と、ダンサーをしていた母のもとに生まれた。母20歳、父は19歳の若い夫婦だった。

 未熟児で生まれてオギャーとも言わなかったんですって。お医者さまも「ダメだな」と思って、母の産後の面倒をみていた。そうしたら蚊の鳴くような声で「……んぎゃ」と言うのが聞こえたんだそうです。「キャー、生きてる~!」って大騒ぎになったそうです。

 そんな子が日に日に元気に、大きくなるから近所の人たちもびっくりしたみたい。でも体は弱くて。運動会や遠足になると熱を出していました。それで「少し体を動かしたほうがいい」と母のすすめで5歳のころバレエを習い始めたんです。

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