――父親はジャズ全盛時代の終わりとともにトランペット奏者の仕事を失い、アルコール依存症になった。「木の実ナナの父親だ」と酔って叫び、警察に保護された父を迎えに行くこともしばしばだったという。

 父が肝硬変で亡くなり、永さんは「悲しいだろうけど、親が子どもを亡くす悲しみを思ったらさみしくないよ。いい思い出だけ大事に取っておきなさい」と手紙をくれました。永さんの手紙だけで辞典が作れるくらい、その言葉に支えられました。

――ほかにも苦難はあった。40代半ばから更年期の症状があらわれ、それに伴い、うつ病を発症したのだ。

 あれ? なんか変だな、と思ったんです。コーヒーを飲んでもおいしくない。花や景色を見てもきれいだなって思えない。ただ毎日、汗ばっかりかいて。病院に行っても「自律神経失調症」と診断されて。まあいいか、とやり過ごしていたんです。

 49歳のとき、仕事で大阪のホテルに一人でいたんです。そのとき頭がグワーッとしてきて、気が付いたらガラス窓に頭をガンガンぶつけていた。「ああ~! もういやだ! 死にたい!」って。その自分の言葉にハッとしたんです。「死んじゃったら、家族、誰が食べさせるの?」て考えた。それで見つめ直したんです。「更年期障害」と診断されました。うつ病も発症していました。

――更年期障害は症状を自覚してストレスを発散することが、乗り越える助けになるという。体験を伝えたくなり、2000年に新聞広告で「私は、バリバリの『鬱』です」と公表。反響は予想を超えたという。

「あの明るいナナちゃんが?」ってみんなに言われました。でも先生は「明るい人ほどなるんです」と言っていた。ドラマの撮影が終わったあとなどにスッとそばに来て「助かりました」と言われることが本当に多くなりました。ああ、自分だけの問題じゃないんだと。「これを超えれば、さらにイイ女になりますよ」とみんなに伝えたかったんです。

 いまはすっかり元気です。秘訣(ひけつ)はいつも笑ってること。でも、それを後輩やいまの子どもたちに無理して伝えたい、とは思いません。だって時代が違うもの。いちいち説明はしないけど、こういう雑誌で語ることで、もしかしたら何か少しは役に立てるかな、と思っているんです。

 母や祖母から戦争時の大変さをたくさん聞いてきました。母は「自分だけが幸せになっちゃいけない。みんなで幸せにならなきゃいけないんだよ」と繰り返し言っていた。だから自分にも何かできたら、と自然に思うようになったんでしょうね。

(聞き手・中村千晶)

週刊朝日  2019年8月30日号