――日本に戻り、いくつかの舞台に出演。そして72年、越路吹雪主演の劇団四季ミュージカル「アプローズ」のオーディションに参加する。

 新聞でオーディションの広告を見たんです。あれを見ていなかったら、いまの私はないですね。でも実は落ちたんです。「ああ、どうしよう……」と絶望していたら、声をかけられたんです。「ちょっとお戻りいただけますか」って。そこで審査員の先生方に「お願いします! どんな役でもいいからやらせてください!」って食い下がったんです。そうしたら「あなたは応募した役には向いていなくて落ちたけれど、あなたにピッタリの役があるんです」って。写真を見たら「え? この役をやりたかったんです!」って。

 おっちょこちょいな私らしい勘違いで別の役で応募してたんです。それで無事に合格しました。自分では「歌も踊りもできる」と思っていましたが大間違いでした。全部一からやり直し。このとき一流の先生方のもとで、あいうえお、の発声練習から学ぶことができました。

――「アプローズ」以前から木の実ナナに注目する人はいた。舞台を見た井上ひさしさんには「歩いているだけで絵になる女がいた!」と評された。晩年まで交流が続いたのが永六輔さんだ。永さんが木の実に最初にあてた手紙にはこう書かれている。

「僕は貴女と仕事らしいことはしていないけれど、最も関心のあるタレントの一人です。(中略)僕は木の実ナナこそ、“粋な芸人”になれる有力ホープだと信じています。貴女は粋なのです。洒落ているのです。都会人なのです。シックでスマートでセンシティブで……」

 74年には舞台「ショーガール」で細川俊之さんと二人芝居に挑戦しました。81年にいったん終了したあと83年に復活して88年までのロングランになりました。細川さんとはプライベートでは会うのはやめようと決めていましたが、特別な絆がありました。

 2011年に細川さんが亡くなったあと、永さんがコンサートを見に来てくださったんです。そのとき舞台上で私が、「細川さんが好きでした」って言ったんです。そしたら永さん、涙をボロボロボロッて流された。

 いつも永さんは手紙をくれました。88年に父親が亡くなったときも手紙をくれたんです。

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