映画がダメになったあと歌手をやって、テレビドラマをやって。でも、またダメになるんですよ。いい時期はずっとは続きません。

――92年に大腸がんが見つかり、手術を余儀なくされる。休む説明をせねばと記者会見を開いた。が、これが裏目に出た。「がん」という病名の衝撃は大きく、仕事が激減した。

 がんになったと聞いて、レギュラーが一斉になくなったんです。途中で倒れられたら困るからでしょうね。でもそこでまた自分を切り替えた。名前も「年男」から「年雄」に変えて心機一転し、バラエティー番組に出るようになったんです。「踊る!さんま御殿!!」で明石家さんまさんがおもしろがってくれてレギュラー出演者にもなりました。

 あれから、がんを10回手術していますが、抗がん剤を飲んだこともないし、転移も一度もない。本当に健康体です。医者も驚いてますよ。「研究させてくれませんか」って言われてるくらい。

 いまもテニスやゴルフ、ジムで筋トレをしています。スターはカッコよくなきゃいけないんです。80歳になっても「ああ、あの人に抱かれたい!」って思わせる、そういう色気がなくなったら芸能界なんてやめたほうがいい。

――振り返れば苦しいことだらけだった。常にポジティブに「負けない」闘志で生きてきた。

 いまが最高だ、と思っていますね。70歳で借金はチャラにしたし、葬式も終わらせました。生前葬っていうのかな。奥さんと一緒に戒名もつけてもらったしね。娘に子どもが生まれてじいちゃんになったし、ブログもやっているし、新しいことにはどんどん挑戦したい。

 いま年間80本コンサートをやってます。歌ってしゃべって、おじいさんやおばあさんを元気づけている。「ゆかいなじいちゃん」って歌、YouTubeで聞いてみてください。子どもにも歌ってもらえればいいなあ、と思ってるんです。

 自分が「取っつきにくいやつ」だってことはわかってる。それはしょうがない。そういう生き方で人生を切り開いてきたんだから。でも本当はね、「おもしろいじいちゃん」としてお役に立てれば、と思っているんです。

(聞き手/中村千晶)

週刊朝日  2019年8月16日‐23日合併号