「2人で雑誌の分解写真を見て、フォークボールを練習した。板東は指が短いけど、スライダーも投げられた。シュートもあったよ。だけど、7割はストレートだった。追い込んだら、胸元にストレートを要求する。打者が振れば三振。見逃したら、次にフォークを投げれば、面白いように空振りした」

「だけど、シュートのサインは死球があるから嫌がった。それに打たせるより、三振を取るのが好きだった。僕もそれでいいと思った。板東に気持ちよく投げさせることを考えたから。魚津(富山)との準々決勝(延長十八回)は25奪三振。面白いように取れた」

 東京で就職した大宮はよく、中日に入団した板東の試合を後楽園球場で観戦した。

「僕らは高校時代から口げんかもしたことがなかった。最初はワンバウンドを上手に捕れなかった僕を、彼は怒ったりしなかった。そのうち、僕も捕手として成長できた。中学3年のとき、板東は徳島県の健康優良児に選ばれているんだけど、まさにそういうイメージ。勉強も体育もできる。素晴らしい男とバッテリーを組めたことは、僕の誇りでもあります」(敬称略)
(朝日新聞編集委員・安藤嘉浩)

 週刊朝日増刊「甲子園2019」は代表49校の戦力データのほか、板東英二ら「忘れがたき名投手たち―捕手の追想録―」などの特集を掲載している。

※週刊朝日増刊「甲子園2019」より抜粋