「痛み」に端を発した物語は『古事記』の海幸山幸物語に連なり、明治以来4代にわたって佐田家が暮らした屋敷で起こった兄弟をめぐる惨劇にもつながっていく。やがて、その惨劇こそが、祖母・早百合が病の床で死者から言付けられた「稲荷に油揚げを」と結びつく。

「痛み」というパーソナルなテーマである入り口の先で、読者の目の前に広がるのは、壮大でありながら大らかで、楚々としたユーモアさえある、滋味深い物語である。そこには、個々人の抱える問題を孤立させるのではなく、大きな枠組みで普遍的な問題として考えていく、という作者の姿勢があるのだと思う。それは、この作者の他の著作にも通底することでもある。

 本書で描かれているのは、過去からの連なりだけではない。未来へ向けての連なりをも、そのことを示唆する形で描かれている。そこがいい。私たちの今いる“ここ”はそこだけ切り取られてあるのではなく、過去からの到達点であり、未来への起点であるのだ。

 物語のラスト、全てが収まるべきところに収まった後、山彦は宙幸彦への手紙にこう記す。

「私は長い間、この痛みに苦しめられている間は、自分は何もできない、この痛みが終わった時点で、自分の本当の人生が始まり、有意義なことができるのだと思っていましたが、実は痛みに耐えている、そのときこそが、人生そのものだったのだと、思うようになりました。痛みとは生きる手ごたえそのもの、人生そのものに、向かい合っていたのだと」

 本書は、山彦の曽祖父である豊彦を主人公にした『f植物園の巣穴』(こちらも、豊彦の「歯痛」という痛みをめぐる物語でもある)の姉妹編である。併せて読むとさらに興趣が深まるので、未読の方にはぜひ一読を勧めたい。

週刊朝日  2019年7月12日号