映画が完成する前のラッシュを見ながら、泣いたんです。たくさん本を読んで沖縄の少女がいかに悲惨な毎日を送っていたかを知ったのに、画面に映った私はぽちゃっとしていて、全然沖縄の飢えた少女じゃなかった。それに気づいて「違う、違う」って泣きました。そうしたら今井正監督が「1週間あげるから、何が違ったか考えて、もう一回撮り直しましょう」と。「はい」と、家に帰って考えました。

 ひめゆり学徒隊は食べるものも食べられず、飢えて傷つきながら、南へ南へと下っていく。私は重傷を負って一緒に行かれず、手投げ弾を渡されて、防空壕のなかで「お母さん」ってつぶやいて死ぬ役でした。

 演技のことはまだなにもわからない。でも鏡の中の私はとにかく太っている。そんな姿は絶対ない。そして1週間、絶食したんです。1週間後に撮り直してラッシュを見たら、今井先生が「渡辺君、目の光が違うよね」とおっしゃってくださった。顔のぽっちゃりは落ちなかったけど、目の光がとにかく「食べたい、食べたい」ってなっていたんでしょうね。

 そのときに「女優とは自分の“体”ひとつで、勝負をするものなんだ」とわかりました。

――86歳のいまも精力的に女優業を続けている。公開中の映画「誰がために憲法はある」では、日本国憲法を擬人化した「憲法くん」に扮し、憲法前文を丸暗記した。映画には渡辺が35年間続けている、原爆朗読劇の公演の様子も描かれている。朗読劇のきっかけとなったのも、ある「出会い」だった。

 小学5年生のとき、学校の行き帰りが一緒になる男の子がいたんです。その子のことが忘れられなくて、ずっと捜していた。顔は覚えているけれど、声が思い出せないのね。なぜだろうと思ったら、口をきいたことがなかったんです。あのころの男子と女子は「おはよう」も「さよなら」も言わない、そんな時代でしたから。

 だから「初恋」なんてそんな想いはなかったですよ。ただ、皮肉と怒りを込めて言っているんです。「絶対に成就しないものが初恋ならばあれが私の初恋である」と。だって彼は12歳で原爆で死んでしまったのですから。

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