可愛らしいものが大好きだった田辺聖子さん=2008年1月撮影 (c)朝日新聞社
可愛らしいものが大好きだった田辺聖子さん=2008年1月撮影 (c)朝日新聞社

 6月6日、91歳で世を去った田辺聖子さんの訃報に、佐藤愛子さんは「一言では語れない」とつぶやいた。「人づき合いの悪い」佐藤さんの数少ない友達の一人。連れ添った医師「カモカのおっちゃん」の大きさ、流麗な文体の秘密……。半世紀ほど前から知るお聖さんとの機微を、佐藤さんがつづった。

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 田辺聖子さんと親しくなったのは、私が四十代を半ば過ぎた頃だったと思います。彼女は私より五才年下で、楽しそうに歌う小鳥のような可愛い声でよくしゃべりよく笑う人でした。趣味嗜好、すべて私たちは反対だったけれど、不精者で人づき合いの悪い私が、親しんだ数少い女友達の一人でした。

 その頃は私が講演などで大阪方面へ行った時、お聖さんが東京に出て来た時は必ず会って楽しい食事をしたものです。そんな時は必ず「おっちゃん」が一緒でした。お医者さんなのにどうしてこんな暇があるのか、訊こうと思いながら、いつかそれが当り前のことになってしまって、そのうち訊く気もなくなりました。その頃、私はよくいったものです。

「女流作家のくせに亭主と仲がいいなんて信じられない」って。とにかく、お聖さんと私との雑誌対談なのに、いつもおっちゃんが一緒にいて、その頃は料亭での対談が多かったのですが、おっちゃんは大きな坐卓の端っこに坐ってチビチビとお酒を飲みながら、私たちの対談を眺めているのでした。いったいこの人は奥さんの友達と一緒にご飯を食べて何が面白いんだろう。私はそう思うだけでしたが、対談相手がある国文学者だった時は、何という無礼な男だと激怒されたそうです。勿論怒られたのは編集者ですけど。

 お聖さんは一口にいうと乙女チックとでもいうか(乙女チックな女性なんて今は絶無になりましたが)きれいなもの、可愛らしいものが大好きで、家の中にはスヌーピーのぬいぐるみが溢れていました。彼女の家へ行くと、スヌーピーのひときわ大きなぬいぐるみが居間に立っていて、編集者が行くとお聖さんがそのぬいぐるみの後に隠れて、

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