東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
2月のキャンプ初日の中日・松坂。「背番号18」が一軍で輝くか (c)朝日新聞社
2月のキャンプ初日の中日・松坂。「背番号18」が一軍で輝くか (c)朝日新聞社

 西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、ベテラン選手の復活に必要な条件を訴える。

【2月のキャンプ初日の中日・松坂大輔投手】

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 やっと野球ができる状態になってきた。中日の松坂大輔投手のことだ。2月の春季キャンプでファンと接触した影響で右肩の炎症を発症。もともとソフトバンク時代に右肩を手術して以降、ずっと思わしくない状態が続いただけに、ちょっとした肩の異変でさえ、停滞につながる。心配していたが、何とかマウンドに立てる状態になった。

 リハビリの時間が長くなればなるほど、停滞が続けば続くほど、どうしても気持ちを張り続けることは難しくなる。チームの練習を離れ、治療日にゴルフをやったことで、球団から処分も受けた。どういう心境でゴルフをしたのかは大輔と話をしていないからわからない。規律という点では、ほめられることは何一つない。ただ、投手がマウンドに立てないことほど、つらい日々はない。きちんと謝罪したのだから、ここからは1軍のマウンドに立ち、チームに貢献することに集中してもらいたい。

 実戦復帰戦となった5月28日のウエスタン・リーグ、ソフトバンク戦で2回をパーフェクトに抑えた。正直言って、まだ腕を振っていないし、打者との感覚をつかむ程度だろう。右ふくらはぎがつりそうになったそうだが、これからブルペンや試合で投げていって、少しずつ体全体の強度を上げるしかない。

 何度も肩の故障で苦しんできたし、昨年マウンドに立って感じたこともあるだろう。耐久力や回復力はどうしても落ちているのだから、球威で押す形では多くの試合を投げられない。やはり、自分の持っている球種を内外角に散らしながら、相手打者と駆け引きしていくスタイルへと、変化が必要になってくる。

 首脳陣の使い方にも注目したい。例えば「しっかり先発として100球以上投げられる状態になるまで2軍」と考えるのか、「1軍で投げさせることを前提として、球数を徐々に増やしていく」のか。今の大輔の右肩のことを考えるのであれば、先発として準備が整うまで待ったら、いつまでかかるかわからない。そしてモチベーションの問題だってある。3試合程度、2軍で投げ、60~70球で本人が不安を感じることがなければ、1軍の試合に投げさせる。そういった考えがあってもいい。

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東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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