中森明夫が語るキャンディーズが最後でピンクレディに勝てた理由  (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

中森明夫が語るキャンディーズが最後でピンクレディに勝てた理由 

このエントリーをはてなブックマークに追加
太田サトル週刊朝日
3人それぞれの個性が光った「キャンディーズ」(左からミキ、ラン、スー)=渡辺プロダクション提供

3人それぞれの個性が光った「キャンディーズ」(左からミキ、ラン、スー)=渡辺プロダクション提供

後楽園球場が満員になった1978年4月4日のサヨナラ・コンサート (c)朝日新聞社

後楽園球場が満員になった1978年4月4日のサヨナラ・コンサート (c)朝日新聞社

 キャンディーズといえば、ピンク・レディーと並べて語られることも多いです。彼女たちは76年のデビューですが、売り上げなど数字面ではキャンディーズを上回っていました。もちろんキャンディーズには人気曲はたくさんありましたが、オリコン1位を取ることができたのは、最後にチャート1位を取らせてあげようとがんばって買った、「微笑がえし」だったんですね。ファン層も実は少し異なりました。大学生中心のキャンディーズ、ピンク・レディーは、小さな子供たちに爆発的に人気が出ました。「記録に残るピンク・レディー」、「記憶に残るキャンディーズ」なんですね。

 多くの人々の記憶に残るのは、「普通の女の子に戻りたい」と言った、解散宣言ですよね。「自分たちは人間なんだ」と、アイドルが自分たちの意思で解散を宣言した。人気絶頂のアイドルグループが、自分たちの口で伝える。嵐の活動休止発表を知った時に、キャンディーズのことを思い出しました。

 解散宣言は、アイドルというパブリックな存在=お仕事から、パーソナルな自分自身の幸せのほうを大切に思い、それをアイドルが自分の口で宣言したというのが大きな出来事でした。時代が変わって2011年、AKB48の選抜総選挙の場で前田敦子さんが言った、「私のことは嫌いでもAKBのことは嫌いにならないでください」。彼女は自分自身よりも、自分が所属するAKB48というパブリックなものを優先した。時代が変わったことを実感した瞬間です。

 78年の4月にキャンディーズが解散、80年3月に山口百恵が引退宣言し、同年10月にステージにマイクを置いて引退。そして81年にはピンク・レディーが解散します。70年代はじめに端を発するアイドルブームは、この時期に一旦収束していくんですね。そのきっかけが、キャンディーズの解散でした。そして、80年にデビューする松田聖子と田原俊彦、近藤真彦、そして「花の82年組」(小泉今日子、中森明菜ら)と呼ばれる次の世代に移っていきます。

 キャンディーズは、今現在のグループアイドルに通じるものを、あの時代にすでに完成させていた。グループアイドル史の起源的存在であった3人組であったということだと思います。

(聞き手 本誌・太田サトル)

週刊朝日2019年6月14日号加筆


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい